透明なマニキュア
金太郎の指先がきらきらと光っていることに気づいたのは練習中だった。
おかしいな、なんでやろ、という疑問を即座に解消すべく、財前は金太郎に
呼びかける。
「金太郎」
金太郎は耳もいい。すぐにぱっと振り返るとたたっと駆けてくる。
2年に進級してもまださほど身長が伸びている様子のない金太郎が
じっと見上げてきた。
「なん?」
「お手」
「はあ?」
嫌そうな顔をしながらも、差し出した左手に金太郎は右手を乗せた。
「なんや光っとると思って」
きらきらと光っていたのは太陽の光りを反射させた爪だった。
透明なマニキュアが塗られている。
「誰に塗られたん」
分かりきった答えを聞くのは気が引けるが一応訊ねてみる。
もしかしたら考えとは違う答えが返って来るかもしれないし。
「白石」
金太郎はいとも簡単に3月に卒業した四天宝寺テニス部元部長の名前を
口に出した。
中学校と高校に分かれてしまえば、どんなに仲が良くとも距離が開く
ものだと思うのだが、白石と金太郎に関してはそうではないらしい。
財前はため息をつきたくなった。
想像したくはないけれど、元部長と元スーパールーキーが恋愛感情込みで
お付き合いを始めたことは人づてで聞いている。
あの人、何やってんねん、と左手に預けられたままの小さな手の角度を
変えてきらりと光る小さな爪を見つめた。
爪の先は丁寧に切りそろえられている。
「これ、毒やって」
ひっそりと何かに怯えるように金太郎がささやいた。
「……はあ?」
「ワイ爪噛むんやめへんかったから白石に塗られてん」
いまだに白石の毒手を信じている金太郎である。
透明なマニキュアを毒だと白石に言われてしまえば信じざるを得ない
のだろうが、その素直さが今は憎い。
「つってもお前だいぶ前から爪噛む癖あったやん。なんで今更」
金太郎の爪を噛む癖は今に始まったことではない。
彼の母親がいくら言っても直らへんと嘆いていたことを知っている。
そもそも、金太郎は最初から爪を噛んでいたわけではない。
ずっとお風呂上り、母親に切ってもらっていたのだ。
金太郎が言うには、「幼稚園で先生が爪の検査するって言ってな、
そん時おかーさんに切ってもらってへんくて伸びてて、それで」怒られる
のが怖くなって噛んで切った、ということらしい。
一度ついた噛み癖はなかなか厄介で直る様子もなく、母親がうっかり
切り忘れた時には金太郎は爪をがじがじやっていた。
もちろん、去年もだ。
人の爪をまじまじ見る、という機会は意識しないとないものだろうから
白石が気づかなかったのも無理はないが、それにしても何故急に。
財前は首を傾げたが、金太郎も難しい顔で首をひねった。
「わからへん。なんか急に爪見せてみって。噛んだばっかでがったがた
やんって、怒られてん」
「へぇ」
「白石が痛いんやって言ってた」
「………」
「何がかわからんねんけど…あれ、ひかる?」
眉間に皺を寄せて黙り込んだ財前を、金太郎が怪訝そうな顔で覗き込んだ。
その大きな瞳には一点の曇りもなく無邪気そのもの。
居た堪れなさと気恥ずかしさとちょっとした焦りと怒りと──ともかく
さまざまな感情が混ざり合って、財前は仕方なく嘆息した。
一息で吐き出せるものではなくて、数回深呼吸する。
「どしたん、光」
「なんもない」
なんもない。
けど、ちょっとショックや。
その声は金太郎には届かず、「あっ、オサムちゃん来たー!」とだらしの
ない監督に嬉々として寄って行ってしまう。
その小さい後ろ姿を見送って、金太郎の手が乗っていた左手に視線を移した
あと、もう一度大きくため息を吐き出した。
(そういえば、明日部活休みやもんな)
朝練の時から「今日な、白石の家泊まりに行くねん!勉強見てもらうん!」
などとはしゃいでいたけれど、こうなってくると何の勉強を教えてもらって
いるのか疑わしいものだ。
(あんだけ大事にしとった割に、手ぇ出すんは早いんや)
と、そこまで考えてそんな場面をうっかり想像してしまいそうになった財前は
慌ててその思考を追い出した。
(うわっ…最悪や…)
今日はレンタルCDショップに寄って帰る。
そうすれば途中で落ち合うであろう白石に会わずに済む。
その背中に向けて嫌味のひとつでも言わずにいられない自分を分かっている
だけに、財前はそう決心した。
そして今度除光液を持ってきてやろうとも。
あんな薄っぺらい毒など剥がしてやる。
背中おもっくそがしがしに引っ掻いたったらええねん。
ふん、と鼻を鳴らした後、財前は去年白石がやっていたように「集合や!」と
部員達に号令をかけた。
───
背中がしがしシーンが書きたかったのにあれ…おかしいな…。
20111016