全国大会を控え、大阪四天宝寺中学テニス部では土日を利用して強化
合宿を行うことになった。
金曜の授業後の部活を終えてからそのまま合宿へと入る。
寝泊りは2号館の最上階にあるたたみが敷かれた教室があるので(教壇が
あり、教卓があり黒板がある教室にたたみが敷かれている光景はちょっと
おかしい)(しかし各クラブの合宿ではよく利用される)そこに布団を
縦横に無駄無く並べての雑魚寝となる。
今回の強化合宿はレギュラーだけなので、そこまで整然と並べなくても
十分に余裕があるだろう。
金曜、通常の部活を終えたレギュラー陣は荷物を持って最上階である
5階の部屋へと移動した。
「じゃあこれから銭湯行くで!皆用意しや」
白石の言葉に目を輝かせたのは金太郎だ。
「銭湯って…お風呂屋さん行くん?!」
「そうや。金ちゃんは合宿初参加やから知らんかったか。ごめんな、伝え
忘れや」
学校に泊まるんか、晩ご飯みんなで食べれんのか、楽しそう、でもおフロ
とかどうすんのかなシャワールームとかで済ますんかな、などと考えていた
金太郎は、わっほーいとたたみの上で跳ねた。たすん、と畳が軽い音を立てる。
四天宝寺の運動部が学校で合宿を行う時には、食事は学食で食べ、入浴は
近くにある銭湯へ行くと前々から決まっているらしい。
お約束ともいえる伝統だ。
「わーい!ワイおっきいおフロ好っきやー!」
またぴょーんと飛び上がった金太郎は、さっさと準備を済ませてしまうと
他のメンバーを「早く早く」と急かしだす。
部活を終えた直後に5階まで階段を登ってちょっとゆっくりしたいと思いもある。
しかし、汗をかいたあとの風呂は最高、と皆も手早く用意を済ませ、おそらく
大阪で一番賑やかなテニス部の団体は練習着のまま銭湯へと向かうことになった。
「なー、光ぅ。おフロ上がったら何飲む?楽しみやなぁ」
「オレはフルーツ牛乳やて決めとんねん」
「じゃあワイいちご牛乳!」
「お前イチゴ好きやな」
いつもはなかば面倒くさそうに金太郎をあしらう財前も今日はなかなか
機嫌よく相手をしてやっている。やはり、泊まり、というものはどこか
浮き足立つような、ワクワクするようなものらしい。
「金ちゃんイチゴ牛乳かぁ。かいらしなぁ」
すぐ後ろで年少組の会話を聞いていた白石がデレデレとした口調で言う。
「オレはコーヒー牛乳にしよ。お前は?」
謙也がそう聞くと白石はきっぱりと言った。
「俺は牛乳一択や。男は黙って牛乳やろ。コーヒー牛乳は好かんわ。コーヒーか
牛乳かはっきりせぇちゅーねん」
「金ちゃんかてイチゴ牛乳やんか」
「金ちゃんはかわいいからええねん。それにイチゴ牛乳はイチゴ牛乳やろ」
「そうかい!」
つっかかるのもバカらしい。謙也は早々にくだらない言い合いを切り上げた。
大体にして白石はスタンダードなものを好む傾向がある。
アイスならバニラ、たこ焼きならトッピングなしだ。
(牛乳にして後悔すんのはお前やぞ)
謙也には風呂上りの展開がすでに読めている。
絶対に金太郎はフルーツ牛乳もコーヒー牛乳も飲みたがる。「一口ちょうだい!
交換!」と言い出す確率100パーセントである。
それくらい千歳の才気でなくとも分かることだ。
そして、金太郎が普通の牛乳を欲しがらないであろうことも。
ぐふふ、と謙也は含み笑いした。白石に勝てることは少ない。
だが、こと金太郎のことになると話は別だ。
謙也は金太郎に、白石が抱いているような感情は持っていないが、可愛い弟だと
思っている。
心境としては「うちの子を簡単に渡してたまるかぁ!」だ。
さて、銭湯である。
サウナでガマン比べ、背中の流し合い、罰ゲームで水風呂に飛び込む、など
銭湯でもお約束を一通りこなしたあとは謙也の予想通りの展開となった。
しかし思ったほど白石が悔しがらなかったので(どうもはしゃいでいる金太郎が
可愛ければそれで良し、らしい)謙也としては面白くなかったが、それはそれ。
賑やかを通り越してもはやうるさい団体が学校に戻ったあとはお待ちかねの
夕食だ。
四天宝寺の学食は味もボリュームもどでかい。
特大サラダ(野菜も食べ!というオバちゃんの気遣い)
大量の豚の生姜焼き(スタミナ狙い)
味噌汁にご飯(お代わり自由)
どれもこれも最初から大盛りだが、そこはやはり育ち盛りだ。
キレイに食べきったあとは、副部長に従って全員で「ごちそうさまでした」。
その後はまたぞろぞろと最上階のたたみ部屋まで戻る。
布団を敷いたすぐそばから、金太郎がこてんと横になった。
「おなかいっぱいやぁ…ワイもうねむなってきた」
食欲が満たされるとすぐに睡魔がおそってくるあたりお子様である。
ついこの間までランドセルをしょった小学生だったと思えば当然という気も
するが、金太郎は小学生の時は20時就寝だったらしい。驚きだ。
「中学に入ってからは9時やで9時!」と胸を張っている彼だが、それでも
早い。
時刻は20時半を回っている。
確かにそろそろ眠くなってくる頃合かもしれない。
「金太郎さん、まだ寝たらアカンで」
眠そうに目をこすっている金太郎を小春が揺さぶる。
「なんでぇ?」
「これからもひとつ四天宝寺の恒例行事があるんよ」
その言葉を聞いた金太郎はぱっちりと目を開けた。
眠くとも何か面白いことがあるのなら話は別である。
「なになに?まくら投げとか?」
「ちゃうちゃう。それは明日や」
「えー。じゃあ今日は?何するん?」
小春はニッと笑った。隣のユウジと肩を組み、声をそろえる。
「「肝試しや」」
「肝試しー?」
そう金太郎が声を上げた直後だった。
いきなり視界が遮られる。
「わッ、なっ、なんやー?!」
ふさがれた目を何とかしようと手を伸ばす前にふわりと体が浮き上がる。
「ふぎゃあ!」
誰かに抱え上げられているのはすぐに分かったが、そのまま移動し始め
られて、金太郎は慌てた。
肝試し。
嫌な予感しかしない。
「なにすんねんー!」
じたじたと暴れていると、何スか!ちょっと!と財前の苛立ったような
焦ったような声が聞こえた。どうやら彼も自分と同じ境遇らしい。
頬に風が触れ、いったん外に出たことが分かった。しかし金太郎を抱えた
誰かは歩みを止めない。
されるがままになっていると、ふと空気が変わった。どこかの建物内に
入ったようだ。
どこに運ばれているのか、検討もつかない。
階段を登ったり降りたりしているのは場所を特定させないためだろうか。
抱き上げられたままの金太郎は眠くなってきた。誰かにどこかへ運ばれて
いるというのに眠気がくるあたり大物である。
しかし、うとうとしたところでいきなり動きが止まった。
すっと床に下ろされる。
「合図があるまでじっとしとくばい。目隠しも取ったらいかんよ」
千歳の声だった。ここまで運んできたのは彼だったらしい。
待って、と言う前にガラリと扉の閉まる音。
他の物音はない。
薄情にも千歳は自分を残して出て行ったのだ。
これはひどい。
千歳のあほぉ、と憤慨する声は、しかしか細かった。
(ひ、ひとり…?!)
光はどうしたのだろう。同じ目にあっていたようだし、ここへ一緒に
運ばれていたとしてもおかしくないのに。
ピンポンパンポーン!
静かな空気に似つかわしくない明るい音が響き渡った。
校内放送だ。
『おふたりさん、目隠しはずしていいで』
謙也の声だ。
『目隠しはずしたら書いてある指示に従って行動してや』
以上、放送終わり。
ピンポンパンポーン!
「……なんやそれ…」
金太郎はぶちぶち言いながら恐る恐る目隠しをはずした。
やっぱり、というか暗闇だ。
目隠しされていたためにすぐに目は慣れた。
教室だ。
机も椅子もある。黒板もだ。
黒板になにやら書かれている。
金太郎はゆっくりと立ち上がって黒板へと近寄った。
「ええっと…」
『金ちゃんへ
ここは3号館やで。
あ、4階の教室やしな。
財前がどっかに閉じ込められとるから助けたってや。
廊下は暗いから気をつけるんやで。
第一のヒントは「雨の日の体育」
くれぐれも気をつけるんやで!
金太郎さんファイト☆』
どれもこれも見たことのある字で書かれている。
一行ずつ文字が違う。
やたらと心配している文を書いたのははたぶん白石だ。
気をつけろというならこんなところに一人にしないでほしい。
「雨の日の体育…」
金太郎はすぐに思い当たった。
3号館はもともとその建物だけで学校として機能していた。
そのため体育館は地下に併設されている。
校舎の形に合わせてあるから随分と細長い体育館なのだが。
とかく、数字は3でも3号館は最初に建てられた校舎なのだ。
今では古くなった3号館に変わり、校舎としての役割を果たしている
のは2号館である。
3号館の教室の多くはクラブボックス代わりになっている。
そして雨の日の体育。
グラウンドを使う体育の日、雨が降るとその地下体育館で授業が
行われるのだ。
「こっから地下に行かなあかんの…?!」
つぶやいた瞬間、ガタガタガタ!と音がした。
「ひぎゃっ!」
思わず頭をかかえてしゃがみこむ。
心臓の音がものすごい。
「な、なんや…今の…」
なんのことはない、千歳が教室の扉を外からがたがたさせただけである。
金太郎は完全にひとりきりだと思い込んでいるので、おどかし役が
近くにいるなど考えてもみないだろう。
「うぅ…こわい…」
しかし怖がってばかりいては何も進まない。
この暗闇の教室にい続けるのも怖い話だ。
とにかく、地下体育館に行かなければ。
閉じ込められている財前も怖い目に合っているかもしれない。
びくびくしながら金太郎は立ち上がった。きょろきょろとあたりを
見渡す。
(だ、だいじょぶや!)
ユウレイとかおばけとか…いるわけないし!
だって見たことないし!と自らを奮い立たせた金太郎が教室を出ようと
した時、プツッと何かの電源が入る音が聞こえた。
また謙也の校内放送かと思ったが違う。
教室の前方、窓際に置かれていたテレビの電源が入ったのだ。
ブラウン管の古いテレビだ。
ざー、ざー、と砂嵐。
「ひっ…!」
砂嵐だけでも金太郎をびびらすには十分だったが、何しろ人には想像力と
いうものがある。
もし、このテレビに何か怖いものが映ったら?
「ふっぎゃあぁ!」
金太郎は教室を飛び出した。廊下を走りぬけ、階段を駆け下りる。2段
抜かしどころか3段抜かしだ。階段を踏み外しそうになっても、気にとめる
余裕すらない。
一気に駆け下りる。気づけばもう2階だ。
このまま地下まで一気に行ってしまおう、とさらに速度を上げる。
2階、1階間の踊り場がやけに狭くなっていることなど、そんな金太郎が気づく
はずもない。
音もなく、壁から手が何本も突き出てきた。
「ふぎゃあああああ!!」
冷静な状態なら、その手のうちの1本に包帯が巻かれていることに気づいた
かもしれない。
しかしもとからパニック気味だった金太郎は完全に恐慌状態に陥った。
わああん、と半泣きで走る。
階段を転がり落ちるように駆けおりて、1階に着いた瞬間、足に何かが
引っかかり金太郎はべしゃりと転倒した。
「い、いったぁ…」
一体何につまずいたのか、と体を起こせば、むずっ!と細い足首を掴まれる。
「っ??!」
金太郎は声も出せなかった。
白い着物の女(髪の毛の長さで金太郎はそう思った)が自分の足首を掴んで
引っ張っていることに気づいて金太郎は真っ青になった。
「なっ、なにすんねんー!!」
着物の女を蹴り上げる。
恐怖のあまりそんなに力は入らなかったが、ぐふっ、とうめいて女は廊下に
倒れこんだ。
しかしそれでも金太郎に近付こうとしてかずりずりと這い寄ってくる。
「いっ、イヤやこっちこんといてぇ!」
金太郎は座り込んだまま後ずさった。立ち上がって逃げたいのだが、足が
がくがくと震えて立ち上がれないのだ。
ずり、ずり、と顔を前髪で覆った女が近付いてくる。
ぼろっと涙がこぼれた。
限界だ。
「もうやや!白石っ!しらいしぃー!!」
助けてぇ!
ぎゅっと体を縮めてうずくまる。
(もうアカン!つかまってころされるんや…ユウレイの仲間にさせられるんや!)
今までしてきた悪いこと(言いつけを守らなかった)(テニスコートのフェンスを
壊した)(ネットも破いた)のバツなのだろうか。
えぐ、と金太郎はしゃくりあげた。
「わぁぁん、ごめんなさいごめんなさい堪忍やー!」
「金ちゃん!」
白石の声と、「うぐぅ」という苦しそうなうめき声。
涙に濡れた目のまま顔を上げると、息せき切って走ってきたらしい白石。
そしてその白石に踏みつけられたらしい着物の女が床でうごうごともがいていた。
「し、しらいし……わああああん」
泣きじゃくりながら白石に手を伸ばす。
今度は安堵のあまり立ち上がれないのだ。
近付いてきた白石に夢中でしがみつくと安心させるように抱き込まれた。
甘やかすように背中を撫でられる。
「しらいし、しらいし!」
「怖かったなぁ。もう大丈夫やからな、金ちゃん」
「えっ、えっ、い、いっぱい、手がカベから…着物着た女のユウレイが
寄ってきてっ、」
その壁から出ていた手のうちの2本は確実に自分のものなのだが、白石は
沈黙を守った。
「よしよし、金ちゃん。もう大丈夫やで。俺がおるからな。こっからは俺が
一緒に行ったるからもう怖ないよ」
「白石ぃ」
こんなに白石が格好良く見えたのは初めてだ。
今の白石は文句なしに世界一格好いい。
…と、金太郎は思ったが、その金太郎にぎゅうと抱きつかれて、現時点で
世界一格好いいと思われている白石は顔をデレデレと雪崩させていた。
抱きついている金太郎からは白石の顔は見えないのはこの場合幸いだろう。
「おいコラっ、白石!」
こそっと小声で話しかけてくるのは白い着物と長い髪の毛のカツラで
幽霊に扮していた謙也である。
金太郎に蹴飛ばされ、白石に踏みつけられ、お化け役にしては痛い目に
合いすぎであろう。
「お前いつまで金ちゃん抱きしめとんねん!いい加減離せや!」
白石は少し考える素振りを見せたあと、金太郎に話しかけた。
「金ちゃん、そろそろ財前助けに行こか。ほら、もう離れ」
「やや!」
「ほなどうすんの」
「だっこ!もう歩けへんもん」
「なんや、甘えたやなぁ」
「…あかん?」
大きな目に涙をいっぱい溜めて自分を見つめてくる金太郎が確信犯でないと
いうのなら小悪魔としか言いようがない。
しかし、これが計算でないところが金太郎のすごいところだ。
白石はふぅと息をついた。
「しゃーないなぁ」
声こそ呆れた風を装っているものの、白石の顔は緩みっぱなしだ。
どや!とばかりに謙也を見やる。
(む、むかつく!)
金ちゃん!そいつさっきまでオレらと一緒に金ちゃんのこと怖がらせ
とってんで!
しかしその点に関しては謙也含む3年生レギュラー全員が同罪である。
くそう、と謙也は廊下に沈んだ。むせび泣きたい気分だ。
「じゃあこのまま抱っこしていったるから、しっかりつかまってるんやで」
「ん」
「どこ行ったらええん」
「地下体育館」
「この下やん。じゃあ行こか」
「うん」
白石にコアラよろしく抱きついたままの金太郎はこくりと頷いた。
もう自分の足で歩かなくてもいいし、白石に引っ付いたまま目を閉じて
いれば怖いものも見なくて済む。万々歳だ。
悔しさで廊下に沈んだままの謙也を残し、金太郎と白石は地下体育館へと
向かう。
(まぁ確かに夜の学校って不気味やな。しかも3号館は普段あんまり出入り
せんし)
そうは言っても特に怖くはない白石である。
姉がそういった怖い話の類やホラー映画に目がなく、つき合わされている
うちに耐性ができてしまった。妹も同様だ。
よく3人でホラー映画をレンタルしてきては「ここは狙いすぎ」「このシチュ
エーションはありきたり」などと辛辣な批評をするくらいである。
「金ちゃん、体育館についたけど」
「イヤや降りひんで!」
ひし、と全身で抱きついてくる。ちょっと苦しい。
注射を怖がって飼い主にしがみつく犬とかを連想させる仕草だ。
分かった分かった、と金太郎を宥めてから白石は地下体育館を見渡した。
縦長だがそう広くはない。
体育の授業以外では卓球部が主に使用している。
(仕掛けは銀やったか)
銀のことだ、ヒントだけ置いて怖がらせるような仕掛けはしていないだろう。
ついでにものすごく分かりやすいところにヒントを隠しているに違いない。
掃除用具のロッカーを開けると、鍵を貼り付けた紙がセロハンテープで貼り
付けられてぺらりと揺れていた。
『お疲れさん。茶話室の鍵です』
(茶話室て…財前閉じ込めてるとこやん)
白石の予想ではあと2箇所ほど無駄に遠回りをさせられると思っていたのだが、
銀の優しさは予想以上だった。
自分だったらこの地下体育館のどこかに鍵を隠しておいて、さらに他の場所へ
再度誘導しているところだ。このへん性格が出るというものである。
「金ちゃん」
「ん…」
「金太郎、寝たらアカンやろ」
それはさすがに、と白石が苦笑する。
「寝てへんもん…」
「そんな眠そうな声出しといて…財前助けに行くんやろ?」
「うん!」
はっ、と金太郎が顔を上げた。
恐怖で忘れていたが、目的はどこかに閉じ込められている財前を助けること
だったのだ。
「茶話室にいるて。鍵もあったで」
「…茶話室て、どこにあんの?」
「んー…確か2階やったかな」
「そかー。じゃあ白石!ごー!」
金太郎は気楽に白石へと指示を出した。
はいはい、と大人しく従うと、金太郎が笑う。
「さっきまで泣いてたのに随分元気やんか」
意地悪くそう言ってやると、白石にしがみついていた金太郎が少しだけ
体を離して白石を見つめた。
気分を害した様子もなく、きょとんとした顔をしている。
「だって白石がいっしょやもん」
生意気を言う金太郎をからかってやるつもりだったのに、そんな風に
言われてしまうと言葉に詰まってしまう。
自分のことをなんとも思っていないから自然にそういう言葉が出てくる
のだろうな、と思ってしまうわけだが。
(でもちょっとは自惚れてもええ…よな?)
だって金太郎は真っ先に白石の名前を呼んだのだ。
「何か出たら白石毒手で追っ払ってや!」
果たして毒手は幽霊相手にも通用するのだろうか。
疑問はあるが、金太郎がそう言うのなら希望に沿うまでの話である。
難なく(特に怖がらせるための仕掛けもなかった)茶話室にたどり着いた
白石は、鍵を開けたいと言ってずっと抱えていた金太郎を下ろした。
さすがにものすごい解放感だ。
軽いとは言え、そして好きな子とは言え、ずっと抱えていると腕もいい加減
疲れてくる。
やむなく自分の足で立つことになった金太郎は、それでも先ほどの恐怖が
後を引くのか、白石のジャージを握って背中にしがみついている。
がちゃん、と鍵が開いて中に入ろうとすると、──動けない。
金太郎が引っ張っているのだ。
「なんや、金ちゃん」
白石が振り返るのと、金太郎が叫ぶのはほぼ同時だった。
「ふぎゃあああああっ!」
抱きついてきた金太郎を反射的に抱きしめてやりながら、なるほどと
白石は合点した。
よたよたとこちらに向かって歩いてきているのは、やたら長身の
ゾンビだった。
ゾンビと言ってもぱっと見で被り物と分かる。
着ている服装からして千歳だ。
実は千歳は最初の教室でゾンビに扮し金太郎を脅かす役目もあったのだが、
彼が教室を飛び出すのがあまりに早く、もたもたしているうちに脅かす
対象を逃がしてしまったのである。
しかしせっかくゾンビになったのだから、とふらふら3号館を散策して
いたのであった。
聞きなれた声がしたのでやってきた、というところだろう。
「金ちゃん、大丈夫や。ほら、毒手で追っ払ったるから」
しっしっ、と左手であっちへ行けと合図すると、ゾンビはオッケーの
サインを出して、再びもときた道を歩き出した。
金太郎がびくびくしながら白石から体を離したときには、千歳扮する
ゾンビは階下へ降りたところだった。
「もう大丈夫やで」
「……すっ……っごいなぁ!白石!」
金太郎の瞳はきらきらと輝いていた。
「白石、かっこええ!」
「そ、そうか?」
「すごい!すごーい!すごいなぁ白石ぃ!!」
白石の周りをぴょんぴょん飛び跳ねながら金太郎が言う。
こうなると「あれは千歳やで」とはもう言えない。
子どもにサンタクロースの正体を明かしたくない大人の気持ちがよく分かる。
「金太郎…と、部長?」
真っ暗な茶話室から呼びかけたのは財前だ。
白石は手探りで電灯のスイッチを探し当てた。パチン、と音がして一気に
室内が明るくなる。
「ひかるー!」
わああん無事やったんかー、と再会を喜ぶ金太郎に抱きつかれながら、
財前は疲れたような顔をしていた。
それもそのはず、両手をロープでぐるぐる巻きにされて座り込んだ
状態のままだったらしい。
しかも後ろ手だ。
金太郎は結び目を苦労してほどいてやっている。その隙に白石は携帯で
脅かし役のレギュラーにメールを送った。
財前救出完了。片付けは明日にして就寝準備、と。
「怖い目には合わへんかったん?」
「なんや色々やられたけど、なんも怖なかった。ぬるいわー」
両手をぶらぶらさせて自由になった感覚を確かめながら財前が言う。
ホラーゲームはほぼやり尽くしている財前である。
ユウジと小春の渾身のネタ(怖いバージョン)はまったく効かなかった
ようだ。
「ワイはな、カベからいっぱい手が出てきたり女のユウレイに足掴まれたりな、
もーすごい怖かったん!でもな、ゾンビはな白石が追っ払ってくれてんで!
すごいやろー!」
「ちょ、金ちゃんその話はええから…」
「白石はすごいねんで!」
なー、と笑いかけられて、白石は曖昧に微笑んだ。
「そうか、そりゃすごいな」
「そうやろ!白石はすごいねんっ」
「部長がすごいんは分かったからもう帰るで。疲れたわ。お前も眠いやろ」
財前にそう言われて、金太郎はうーん、とうなった。
言われてみるとものすごく眠くなってきたのだ。緊張と恐怖で忘れて
いた眠気が一気に押し寄せてきた。
「うん、ねむい…」
「らしいすわ、部長」
「え?」
急に話を振られて白石は驚いた顔をした。
財前が疲れたように言う。
「金太郎、もう寝そうすわ。抱えたってください」
ぐい、と金太郎を白石に向かって突き出すと、財前はあくびをしながら
伸びをした。
「おい、財前…」
「頼んますよ」
ああ、疲れた、と言いながら財前は茶話室を出ていってしまう。
見透かされた気がして落ち着かないのは白石だ。
(財前は勘ええな)
内容が「白石はすごい」であっても金太郎にまとわりつかれている財前を
少しの嫉妬を持って見ていたことに気づいていたのか。
(あー…恥ずかし!)
「しらいし」
金太郎に呼ばれた。
目をしょぼしょぼさせている。見るからに眠そうだ。彼にとっての就寝時間を
大幅に過ぎてしまっているのだから、当然と言えば当然だろう。
手を伸ばされて、財前の言うとおり抱き上げてやる。
「じゃあ帰ろか」
「うん。なー、しらいし」
「ん?」
「今日、いっしょに寝ていい?」
ゾンビきたらこわいん、とむにゃむにゃ言いながら金太郎はすやりと寝入って
しまった。
白石は金太郎を抱えたまま数秒間固まった。
「はー…」
なんてこと言うんや。
ため息が出た。
(恐ろしい子!)
今夜は寝れへんかもしれん、と白石は金太郎を抱えて茶話室を後にした。
俺はお化けより幽霊よりこの子が怖いわ、と思いながら。
怖がりのひとりごと
───
金ちゃんはお化けとか怖くないタイプだと思うんだけどそこはひとつ話の
都合上!
20110830