帰り道は非常に混雑していた。
 人の波、人の群れ。人、人、人。
 流れに乗って白石と金太郎は帰路に着いていた。逆走などできるわけもなく、
 そんな中で仲間を探そうなど無謀に違いなかった。


「ひといっぱいやなぁ、白石」

「そりゃ皆帰るからな。金ちゃん、つぶされへんか」

「つぶされへん!」


 ひときわ小柄な金太郎を半ば小脇に抱えるようにして白石は歩いていた。
 バスに乗るより歩いて帰ったほうがきっと早いだろう。人の波もそのうち
 とだえる。


「金ちゃん、疲れてへん?」

「ぜーんぜん平気!」


 むしろ花火を見て、屋台で好きなものを好きなだけ食べた金太郎は来た時
 よりも元気そうだった。
 お土産に、と買ったはずなのに我慢できなかったのかりんご飴にかじり
 つきながら、白石の右手をぎゅっと握って飛び跳ねるように歩いている。
 たし、たし、とビーチサンダルで歩く音が可愛かった。


「でもあっついなぁ。早よ家帰ってお風呂入りたいわぁ」

「そうやな。でも冷たい麦茶出したるから帰ったらちょっとゆっくりしようや」

「…んえ?」


 金太郎が不思議そうな顔をして首を傾げると、口のはしから赤い砂糖の滓が
 ぽろりと落ちた。
 そのままぽかんと口をあけたままの彼に、白石は笑いかけた。


「今日は俺んちに泊まりや、金ちゃん」

「えー?!そんなんワイ言うてきてへんで!怒られるわ」

「もう言うた」

「へっ?!」

「金ちゃんちに電話して、今日は帰りが遅くなると思うからうちで預かります、
 ってお母さんに言うといたよ」

「いつ?!」

「金ちゃんはもう家出たあとやったな」

「なんそれぇ!早よ言いやー!」


 ぶんぶんとつないでいる手を振って抗議する。
 こーら、と手に力を入れて行為を止めると、途端にぱっと手を離した金太郎が
 腕に抱きついてきた。
 抱きついてきた、というのは甘すぎる表現で、実際には全体重をかけてしがみ
 ついてきたというのが正しいのだが、白石にしてみれば自信を持って「抱き
 ついてきた」と言うに値するらしい。


「こら、歩きにくいやろ」


 咎めてみるものの、これは完全に口だけである。
 じゃれ合いながら白石の自宅へ帰り着く頃には22時を過ぎていた。
 出迎えてくれたのは部屋着の母親だったが、金太郎の浴衣姿を見て可愛い
 可愛いと褒めそやし、なかなか離してくれない。
 さすがというかなんというか、好ましいと思うものが自分とよく似ている。
 白石はため息をついた。
 このままでは埒が明かない。


「金ちゃん、先に部屋行っとって」


 金太郎を2階へ行かす強硬手段を取ると、母親はむぅとむくれてはいた
 ものの、「二人で食べなさい」と大きく角切りにしたスイカをくれた。
 麦茶を一緒にお盆に載せて2階へと上がる。


「金ちゃん、スイカあるで」

「スイカー!食べる!」


 ベッドに腰掛けて足をぶらぶらさせていた金太郎が、フローリングの床に
 ぺたりと座った。
 さすがに勝手知ったる、というかクーラーがちゃっかりかかっている。


「金ちゃんクッションかなんか…」

「いいからスイカ!」


 妹の部屋から拝借してきたミニテーブルの上にスイカをのせる。
 勉強の苦手な金太郎にこの部屋で勉強を見てやる際に何度も活躍した
 ミニテーブルだ。もういっそ譲り受けてもいいかもしれない。


「おいしーい!」


 フォークで次々とスイカを突き刺して口に運ぶ。
 金太郎は本当においしそうに食べるから見ていても気持ちいいのだ。
 おいしいおいしいと食べられて、母親も陥落した口だった。
 あの食べっぷり、いいわあ。また連れてきてよ、と金太郎を連れて
 来るたびに母親は言う。
 気に入ってくれているのはうれしいが、この子が俺の恋人ですと言えば
 どんな反応をするのだろうか。


(意外と平気そうやけどそれはそれで怖いな)


 見た目こそたおやかな印象がある白石の母親だが、中身は意外と豪胆だ。
 あんたに金太郎君はもったいない、とか言い出しそうで怖い。


「めっちゃうまいでー!白石も食べや」

「食べとるよ」


 にこにこしながら口いっぱいにスイカを頬張る金太郎は可愛い。
 可愛いけど。


「あーあ、もう口の周りべたべたやんか」


 こっちおいで、と誘うと、ある程度スイカを食べて満足したらしい
 金太郎が素直にそばへと寄ってくる。立ち上がるのが面倒なのか、
 四つんばいの姿勢だ。
 口の周りをティッシュで拭ってやってから、顔を近づけた。
 意外なほどあっさりと金太郎はまぶたを閉じて大きな瞳を隠した。
 まるで無自覚で無防備な彼だが、キスするときだけは自分の意思で
 大人しくなる。
 キスされんのが好きなんやな、と気づくのは早かった。
 口が笑んでいるのだ。

 くちびるを合わせていると、膝立ちになった金太郎が首に手を回して
 ぎゅっと抱きついてくる。
 キスする時は俺の首にこうやって手ぇまわすんやで、と教えたら毎回
 そうするようになった。

(はー…かわええ…)

 抱きしめ返して背中を撫でながらくちびるを甘く噛む。
 ん、と声をもらしても嫌がる様子はない。
 たまらずに舌先で金太郎のくちびるを割った。
 びく、と痙攣のように大きく身を竦ませた金太郎には悪いが、そのまま
 舌を差し入れる。
 甘い。
 比喩ではなく、単純にスイカとりんご飴の味だ。


「んんっ…」


 初めての感覚に、むずがるような声が上がった。
 嫌がってはいない。
 金太郎の両手は白石に巻きつかせたままだ。


 嫌ではなかった。
 本当だ。
 怒られてんのかな、と勘違いしそうな告白の時もそうだった。
 白石は怒っているとも、今にも泣き出しそうとも取れる顔をしていた。
 好きや好きや死ぬほど好きや!好きなんや!と叫ばれた時、正直に言うと
 金太郎は困惑していた。
 白石のことが好きなのは本当だったが、「ワイも好きやで」と軽々しく
 言ってはいけない類のものだとすぐに分かった。
 茶化してはもっといけないだろう。
 何しろ「死ぬほど」ときた。
 金太郎にしてみれば「死ぬほど」とは最上級だ。
 めっちゃ、よりも、すっごい、よりも、もっともっと上の。
 死ぬほど好き。

 困る。

 白石は真剣だ。
 金太郎は困った。
 素直に「そんなん言われても困る」と口にしようかと思った。
 それが正直な気持ちだったからだ。

 でも、と思い浮かんだのはその時だ。
 もし、自分がこの告白を断ったら。
 白石は自分じゃないほかのだれかを好きになって、そして今と同じように
 死ぬほど好きやと言うのだろうか。
 そんなんイヤや、と思った。
 彼の告白を受け入れたのは、白石を取られたくないという気持ちが困惑に
 勝ったからだ。
 見もせぬだれかに嫉妬した、とは分からないままに。


 白石と『付き合う』のは心地よかった。
 白石はやさしかったし、キスはもっとやさしかった。
 キスされるとうれしかった。
 それはたぶん好かれているとダイレクトに分かるからだ。
 白石に好かれてうれしいというのなら、きっと自分も白石のことが好きなの
 だろう。
 金太郎にしてはひねくれた解釈だが、何しろ始まりが受動的だったのだから
 仕方ない。
 ともかく、キスされるのが好きだ。
 うわ、と思ったけど、舌を合わせる感覚も気持ちいい。
 それはいいのだが。


「は、ぁ、ちょっ…と、白石!」

「ん?」

「あ、あ、足!さわらんとって!」


 金太郎の顔が真っ赤になっているのは深いキスのせいだけではなかった。
 いつの間にか浴衣の裾を割った白石の手に太ももを撫で回されているとも
 なると当然の反応だ。
 白石のことが好き、と自分の感情をおぼろげに掴み取る前から、白石に
 触れられるのは嫌ではなかった。
 けれど、普段は服で隠れている素肌に直接触れられたことなど今まで
 なかった金太郎は慌てるしかない。


「く、くすぐったいねん!」


 浴衣の上から白石の手を押さえる。
 形だけで力の入っていない金太郎の手から逃れるように、白石はするりと
 手を滑らせた。内股の方へだ。


「ひゃあっ、ちょお!やめぇ白石!」


 金太郎は腕を突っ張らせて白石との距離を取ろうとするが、当の白石は
 それを許さなかった。
 目を細めて弱い内ももをつつと撫でる。やわらかい。
 びくびくと小さな体が目に見えて震えた。


「んー、金ちゃん足ほっそいなぁ」

「うひゃ、ひぁ、ん!」


 笑い出すのをこらえるような顔を見せて、金太郎は白石の肩にひたいを
 擦りつけた。


「も、くすぐったいって…」


 吐息を混じらせた小さな笑い声では信憑性に欠ける。
 金太郎がくすぐったがりなことなど承知の上だ。わき腹を擽ると
 大袈裟なほど身を捩じらせてきゃーきゃー騒ぐ。


「擽ったいだけ?」

「くすぐったいのと、なんか、ちょっと…はずかしい」


 嘘をつかず(つけないだけかもしれない)素直に自分の感情をそのまま
 口にする。しかも本当に恥ずかしそうに。
 ああ、この子ほんま罪!罪すぎる!
 正直、まだこんないかがわしいことをするつもりではなかったのだ。
 それなのにこの手が。
 勝手に。
 簡単にこの手の侵入を許した浴衣も悪い。
 おまけに跳ね除ければいいものを、金太郎が嫌がらないから。
 調子に乗る、というよりはなし崩しに、という方が近い。


「ほんま、かわええなぁ」


 心からの感嘆を口にしたところで、金太郎には分からないだろう。
 恥ずかしくて顔が上げられないのか、ぎゅっとしがみついたままの
 金太郎の細い首すじにくちびるを押し当てた。
 やわく吸い上げる。


「ぅあ…!」


 ばっ、と弾かれたように上がった顔はやっぱり真っ赤なままで
 言葉が出ないのか、口をぱくぱくさせている。
 可愛がりたいとかもみくちゃにしたりたいとか大事にしたいとか
 いっそめちゃくちゃにしてやりたいとか。
 混ぜこぜになった感情を持て余す。


「金ちゃんが悪いで」


 驚いて目を見開いた金太郎に、噛み付くようにくちづける。


(俺を誘うんやから)


 それだけは確かだ。

 誘う。
 誘われる。





真夏の夜の夢









───

 あとはご想像にお任せということで…!
 1.健ちゃんからの帰宅確認電話で中断し二人ともなんだかもやもや
 2.「何さらすんじゃボケェー!」「あべし」
 3.「おフロ入ってへんし!」という金ちゃんの思わせぶりセリフで白石どっかん

 …お約束的に2でいいかもしれません。


20110823