花火大会に行こうや、と言い出したのは謙也だった。
 全国大会が終わり、夏休みが終わるまであと少し。
 お誂え向けに、市が主催する花火大会が予定されていた。
 夏の最後を彩る、二万発の花火だ。

 わぁ、花火行きたい!行こうやー!と真っ先に飛びついたのはやはり
 金太郎だった。
 ムードメーカーの彼が楽しみやなぁと騒ぎ出すと、負け試合で大なり小なり
 へこんでいた部員たちも次第にそんな気分になってくる。
 楽しみがあると、前向きになるのは道理だ。
 少しばかり静かになっていた四天宝寺テニス部だが、そのことで前向きさと
 活気を取り戻してきつつある。
 そこまで盛り上げたのは紛れもなく金太郎だ。


「晴れるかなぁ。なぁ、謙也」

「たぶん晴れるで。ここ一週間雨は降らんって予報や」

「楽しみやー!たこ焼き、たこ焼き!」

「たこ焼きなんかどこでも食べられるやん」


 そんな会話を数日繰り返し、テニス部の面々も何を着て行こうとか
 暑いかなぁとか屋台で何食べる、だとかお祭り気分が広がっていた。
 どこか浮かない顔をしていたのは白石一人である。
 白石も花火には行くつもりだった。
 ただ、皆で、ではなく、金太郎と二人で。


 準決勝の負け試合。
 あの後、もうこうなったら、と勢いで金太郎に告白した。
 完全に玉砕覚悟だった。
 負けたあとだ、もう振られても怖くないと思った。
 というより、負けの痛みをとことんまで掘り下げてしまおうと思ったのだ。
 情けない、自虐的な思考だった。
 告白して振られたら。
 金太郎に嫌われたら。
 きっと負け試合の悔しさを一時でも忘れられる。
 かなり後ろ向きの潔さでもって、白石は隠し持ってきた思いを告げることに
 したのである。
 好きや好きや死ぬほど好きや好きなんや!と怒鳴りつけるように格好悪く
 告白した。

 ら、返事はまさかのイエス。

 金太郎本人に何度も確認し(しまいにしつこい!と殴られた)自分の
 頬を何度となく抓り(左だけ内出血した)、それでも夢は覚めなかった。
 そこで初めてそうかこれは現実なのかとようやく理解できたところだ。
 現実。
 そう、晴れて恋人同士!
 俺、金ちゃんの彼氏なんや!
 舞い上がらないわけがない。
 当然のように夏デートの定番である花火大会に誘おうとしたのだが、
 部活終了を待っていたのが悪かった。
 謙也は休憩中に花火に行こうと言い出したので、出遅れた形だ。


(しゃあないわなぁ)


 がっかりした白石に対して、金太郎はあくまでも楽しそうだった。
 俺と二人で行きたいとか思わへんのかな、いやむしろデートって概念が
 まずないかもな、などと自問自答を繰り返してしまうのも無理のない話
 だろう。


「なぁ、白石」

「なんや?」


 さすがの金太郎も「付き合う」ことが特別だとは分かっているようで、
 ことあるごとに白石の元へ駆けてくる。
 状況が許す限り、白石といっしょにいようとしていることは分かる。
 金太郎はどこででも中心的な存在であるし、テニス部でも言わずもがなだ。
 そんな彼が自分を優先してくれる、ということに実はかなりの優越感を
 感じていたりする白石である。
 今日も帰り道、わいわいと騒ぎながら寄り道する集団を抜けて二人で
 歩いている途中だ。


「明日、花火!楽しみやなぁ」

「そうやな」

「みんなで行くけど、白石といっしょに見れるもん」

「そ、か!」


 沈みがちだった気持ちが一気に浮上する。急浮上。息苦しいほどだ。


(金ちゃんは天才やなぁ)


 白石は感心しきりだ。
 自分をコントロールすることにかけて、白石はひどく自信を持っている。
 己を律することができなければ「完璧」には程遠い。
 なのに、金太郎ときたらたった一言で、少しの態度で、白石を一喜一憂
 させることができるのだ。
 ユウジあたりに言わせれば「それが恋ってもんや!」の一言で済むような
 話なのだが。






 翌日、練習は早めに切り上げることになっていた。
 何しろ、制服姿でぞろぞろと花火大会に行くのは決まりが悪い。
 各々一度自宅へ帰って私服で、ということになったのだ。
 待ち合わせは学校近くのバス停だった。
 花火大会が行われる場所までは割りと距離がある。大きな河川で開かれる
 それは、屋台も多く出る。花火が見れるお祭りといった雰囲気だ。


「やっぱり千歳はのんびりしとるなぁ」

「珍しく金ちゃんも遅いやん」


 四天宝寺が誇るデコボココンビだけがまだ待ち合わせ場所に現れていない。
 のんびりしている千歳はともかく、あんなにはしゃいでいた金太郎だ。
 一番乗りでもおかしくないはずだが、どうしたのだろう、と皆が思い始めた
 時、たしたしたしっ、と軽い足音がやってきた。


「金ちゃん!」

「いやぁん、金太郎さん可愛いやんか!」

「何言ってるんや!小春のほうがかわえ…ぐふっ」

「うっさい、一氏!」


 軽い足音は下駄代わりのビーチサンダルのもの。
 長い前髪を頭のてっぺんでくくっている金太郎は浴衣姿だった。
 紺地に赤と橙のとんぼ柄。
 適当な帯がなかったのか、薄緑色の帯がまるで女の子のように後ろで
 大きくちょうちょ結びにされている。


「おかーさんが着て行きってうるさかってん。去年おばあちゃんが作って
 くれたんやって言って」


 その言葉通り、裾丈が若干短いような気がする。ふくらはぎが少しのぞいて
 いるが、よく動き回る金太郎にはちょうどいいだろう。
 金太郎は、くるん、と片足で器用に一回転してみせた。
 帯の背中側にうちわが差し込まれている。お祭りに行く準備は万端、といった
 風情だ。


「頭も?」


 ひとつまとめにされた前髪に触りながら財前が聞いた。
 動物のしっぽに触る感覚だ。
 帯と似たような色のシュシュでくくられている。当然母親の仕業だろう。


「前髪ジャマで花火よく見えへんでってくくってくれてん」

「ちっちゃい子ぉやん!」

「ちょっと小春と並んでみぃや」


 小春は白地に風鈴の絵柄だ。
 浴衣を着ているのは金太郎と小春の二人だけ。それでも浴衣が並ぶと一気に
 お祭り、という感じになる。


「ええやん」

「夏って感じやなぁ」


 わいわいと二人を取り囲んで騒いでいると、のそりと千歳が現れた。
 いつものエスニック調のトップスにデニム。
 下駄だけが夏らしさを醸し出している。


「お、二人とも浴衣とね!良かねぇ」

「やぁーん、褒めてもなんにも出ぇへんでっ」

「浮気か死なすど!」


 どこまでも賑やかな四天宝寺テニス部一行は、ちょうどいいタイミングで来た
 バスにぞろぞろと乗り込んだ。
 バスの車内に人はまだまばらで随分空いている。
 帰りは混むに違いないが。
 各々座席に座り込む。
 当たり前のように金太郎が白石の隣にちょこんと座った。


「金ちゃん、浴衣かわええなぁ」

「そかなぁ。おばあちゃんが作ってくれたやつやねん」

「よう似合とるよ」

「白石も浴衣着てきたら良かったのに」


 浴衣なんて、着たのは小学生までだ。旅館の浴衣を除いては。


(あー、でも浴衣で花火ってめっちゃええなぁ!)


 めちゃくちゃ恋人同士っぽい!
 来年は浴衣着よかな、と鬼に笑われそうなことを考えながら、白石は
 そうやなぁと笑みを返した。






「うーわ、めっちゃ混んどる!まだ明るいのに」

「屋台目当てやろ」

「はぐれたらもう終わりやな」


 目印になる190センチ越えが二人もいる一行だ、そうそう見失うことはないかも
 しれないが、この人波に揉まれたら落ち合うのは難しいだろう。


「金ちゃん、はぐれたらアカンで。ほら、手ぇ出し」

「ん」


 大人しく金太郎は白石の手を取ったが、次の瞬間にはその手を引いていた。


「たこ焼き!たこ焼きのにおいする!」

「こら、金ちゃん」

「あっちやぁ!たこ焼き!いちご飴も食べたいし、たまごせんべいも食べるで!」

「しゃーないなぁ」


 呆れた口調は演技だった。
 テニス部の皆のことはもちろん好きだ。一緒にいて楽しい。苦楽を分かちあって
 きたからこその信頼関係もある。
 けれど、それを差し引いても好きな子と──念願の恋人同士になったばかりの─
 二人で花火が見たい!という気持ちは抑えられなかったわけだ。
 金太郎に無理やり手を引かれて、という風を装っているが、実は巧みに金太郎を
 誘導しながら白石はそっとテニス部の一団から抜けて人ごみにまぎれた。

 金太郎がそのことに気づいたのは、たこ焼きを1パックといか焼きを食べ切って、
 いちご飴を舐め始めたときだった。


「あ、あれ?みんなは?」

「金ちゃん、今更すぎるわ。とっくにはぐれてもうたよ」

「えー?!うそぉ!ワイのせい?!どうしよ、白石ぃ」


 みんな迷子になっとるかも、と慌て出した金太郎を白石はそっと制した。
 その心配はいつも周囲が金太郎に対してしている心配なのだが。


「大丈夫や。皆子どもやあらへんねんから心配せんでも。でもまぁちょっと電話
 してみよか」


 どこにいるのか把握しておいても良いだろう。
 肝心の花火の時に合流、は、ちょっと避けたい展開である。

 5回目のコールで謙也が出た。


「謙也か。どこおるん」

『白石こそどこおんねん。ていうかオレ今千歳と二人やねんけど。これはもう
 合流はムリそうやな』

「え、お前もはぐれてもうたんか」

『もー、人多すぎてどこに誰がいんのか分からんわ。あっ、こら千歳!勝手に
 どっか行くなや。男二人で花火もさむいけど、一人は寂しすぎるやろ!』

 なるほど、おそらく謙也はふらりとマイペースに歩みを進める千歳に
 ついて行って道連れ的にはぐれてしまったのだろう、

「千歳の首根っこつかまえとけ」

『アホゥ!こんなでかいやつの首根っこつかんどけるわけないやろ!』

「ほな千歳にお前の首根っこつかませたれや」

『…もうされとる』


 謙也のTシャツの首元を迷子にならないようにつかんでいる千歳の図、を
 思い浮かべた白石は思わず吹き出した。おもしろすぎる。
 笑うなや!と電話の向こうで謙也がわめいた。


「じゃあお前も他のやつらどこにおるか分からんねんな」

『探しながら歩いてるんやけどなぁ。お前は?金ちゃんは一緒におるんか?』

「そうや」

『なら安心やな!まぁ、帰り会えたら会おうや』

「せやな」

『うわっ、なんやねん、千歳っ!』


 電話の向こう側で千歳が射的がしたい、と謙也を引っ張っているらしい。
 分かった!とひときわ大きな声が聞こえて、ほなな、という言葉を最後に
 通話が切れた。
 千歳のお守り役は謙也に任せよう。


「謙也は千歳と二人でおるって」

「他のみんなは?」

「今から聞くわ。ちょっと待っとり」


 大人しく頷いていちご飴をかじっている金太郎を眺めながら、今度は
 小石川に電話をかける。こちらは8コールで出た。
 この賑わいだ、携帯に気づくのは難しいかもしれない。


「健ちゃんかー」

『白石か。どこに誰とおる?』

「俺は金ちゃんとおる。謙也が千歳と一緒におるわ」

『そうか。なら大丈夫やな』

「…つーことは、残りの皆はそこに集まっとるんやな」

『うん。全員銀さんに引っ付いて歩いとるからな!』

「そらはぐれへんわ」


 帰りに合流できたら、と謙也と同じことを言って通話を終了させる。


「残りの皆は全員一緒におるわ」

「そっかー」

「まぁ、帰り会えたらええな、って感じやな」

「じゃあ白石と二人かぁ」

「………、嫌?」


 恐る恐る訊ねると、ぶんぶんと金太郎が首を振った。
 その動きに合わせてひとつまとめにくくられた髪の毛がぴょこぴょこと揺れる。


「うーうん!ええよ!」


 満面の笑みで言われて、ほっとするよりも照れる。


「じゃああとたまごせんべい食べて、チョコバナナ食べて〜」

「食べ物ばっかりやな金ちゃん」


 確かに娯楽よりも食べ物の屋台が圧倒的に多い。
 あと焼きそばとかき氷!と元気よく言う金太郎の手を引いて人の波を進んで
 行く。
 お目当てのものを口に入れながら歩く。
 食べ歩きはアカン、という白石だが、お祭りの屋台となると話は別だった。


「白石、どこ行くん?」

「ちょっと遠いけど、人あんまりおらん方がええやろ。花火もよう見えるで」


 屋台と人であふれる喧騒を抜けると、少し涼しくなった気がする。
 風が通り抜ける隙間が多いからだろうか。
 屋台と人との熱気で頬を上気させていた金太郎が、ふぅと安心したように
 大きく息を吐き出した。


「このへんでよう見えるから」

「ほんまやー」


 金太郎が同意したのは、それなりに人が集まっていたからだ。
 ベンチはすでに埋まっており、レジャーシートの上に座るひと、立ち見を
 決め込む人とさまざまな様子である。


「花火、まだかなぁ」

「もう暗なったからな、始まると思うで」


 白石の言葉が合図になったかのように、ドォン!と大きな音が耳を打った。
 どん、どん、と続けざまに音が響いて、暗闇に鮮やかな花火が咲いていく。


「うわぁ、キレイやー!すごい、あれなんかの形になっとる!」

「なんやろなぁ、魚?」

「すっごいなぁ!なぁ、しらいしぃ!」


 いちいち感嘆の声を上げてはぴょんぴょんと飛び跳ねる金太郎の様子は
 本当に子どもだが、かわええなぁと思わずにはいられない。
 そのうち金太郎は跳ねるのをやめて、ぴとっと白石の右側にくっついた。


「き、金ちゃん?!」

「あんなー、おかーさんが言っとってん。花火はキレイやけど、好きなひとと
 見たらもっとキレイに見えるって」


 白石、知ってた?と悪戯をしかける子どものような瞳で金太郎が言った。
 めまいを覚えそうになったのも仕方のない話だろう。
 返事の代わりに金太郎の肩を抱く。


「知らんかった」

「ふーん」

「でも、いつもよりめっちゃ綺麗に見える」

「…ふぅん」


 照れたように俯いた金太郎の顔を上げさせる。
 ドォン!と花火が打ち上げられる音に合わせて、身をかがめる。
 軽くくちびるにキスをした。


「しっ、しらいし!」

「皆花火見とるから、誰も見てへんよ」


 金太郎の顔が赤くなっているのは暗がりでもよく分かった。
 拗ねたようにくちびるをとがらせているのを見て、何、もう一回?とニヤ
 ニヤしながら聞くと容赦なく腹に肘を入れられる。


「いっ…つー…!」


 照れ隠しか、かなり強烈だった。
 あいたた、と痛がると金太郎が頬をふくらませる。


「白石が悪いんやで」

「せ、せやかて金ちゃんがかわええことするから……すんません何でも
 ないですっ」


 金太郎がまた左腕を振り上げたのですぐに訂正する。
 腕を振り上げた拍子に袖から覗いた細い二の腕から慌てて目を逸らした。

(浴衣、ええなぁ…)

 大体にしてタンクトップの金太郎だから二の腕くらい見慣れたものなの
 だが、袖に隠れている部分があらわになっただけでどぎまぎするのは
 何故なのか。
 そんなことを知りもしない金太郎は頬を膨らませて次々と打ちあがる
 花火を見上げていた。

 怒らせたかな、いや、拗ねられたかな、ほっぺた膨らませてほんま
 かーいらしいなぁ、などと思っていると、金太郎がぽつりと言った。


「しらいし」

「ん?」

「ワイも、今日の花火すっごいキレイに見える」

「っ…!!」


 さっきの肘鉄よりも痛烈なボディーブローだった。


(だっ…)


 抱きしめたい!金ちゃん!
 もみくちゃにしたりたい!エクスタシーや!


(我慢や!耐えろ俺!)


 恥ずかしいのか、俯いてしまった金太郎のうなじが浴衣のせいで
 ばっちりと目に入ってああ目の毒!
 すべてをこらえて、白石は先ほどより強引に金太郎の肩を抱き寄せた。






青い夏のイノセンス






───

 できあがってる白金で花火。
 続きがあるかもないかも。


20110818