夏が終わった。
 と、皆は言う。
 まだ暑いのになぁ、と金太郎は思った。
 夏休みが終わるまで、あと一週間を切っている。
 金太郎の中では、少なくとも夏休みが終わるまでは確実に「夏」である。
 もっと言えば、長袖を着るようになるまでは夏だ。暑いから。

「夏が終わった」

 そういう意味じゃないことも分かっていた。
 全国大会が終わった。
 夏が終わった。
 とはいえ、四天宝寺中学テニス部は相変わらずの騒がしさであった。
 3年生の引退は新学期が始まってから、というのが伝統らしい。




 ぽーん、とコートの外に跳ねていったボールを追う。
 狙い通り、白石の近くだった。


「しらいし」

「…ん?」


 練習着の裾を引っ張って、こそっと話しかける。


「今日な、花火せぇへん?」


 花火?と問い返した白石は、部活中に、と咎めるような、金太郎だから
 仕方ないか、と呆れたような顔をしていた。


「ええよ。他には誰誘ったん?」

「…白石だけ」


 それって二人で──と訊ねようとしたとき「こらー!金太郎!早よう
 コートに戻ってきぃ!」と財前の声が響いた。


「わかったー!」


 じゃあまたあとでな!と金太郎は再度コートへと駆けて行く。


(だからわざわざボール取りにくるついでに声かけてきたんか)


 まずい、顔がにやける。
 手元に持っていたバインダーで口元を隠す。


(うわ、うれしい)


 準決勝で負けて以来、少し塞ぎこみ気味だったことを自分でも自覚して
 いた。
 悔しい。悔しかった。
 終わってしまったことはもうどうにもできない。
 それでも、あと一勝が欲しかった。一球勝負などではなく、試合をさせて
 やりたかった。


(それこそ、もう言うてもしゃーないけど)


 ふぅ、と息を吐いてまたふつりと沸き上がりそうな悔しさを押し留める。
 落ち着け、落ち着け。
 終わったことだ、と言い聞かす。自分自身に。
 憤りも悔しさも負けの苦みもすべて飲み下す。


「白石」


 呼びかけられてはっとする。
 金太郎の大きな目が凝と白石を見上げていた。


「しょっぱい顔して、どうしたん」

「………そんな顔してた?」

「してた!」


 大きく首肯する金太郎に思わず笑みが浮かんだ。
 すごい子やな、と思うのはこんな時だ。
 悔しさとか、苦しさとか、そういう負の感情を一気にさらってくれる。
 これはおそらく惚れた欲目でもなんでもなく、金太郎自身が持つ何かだろう。
 そして金太郎が好きだということを強烈に意識する瞬間でもある。


「金ちゃん、試合は?」

「終わった!なぁなぁ、今日な、8時くらいに白石のとこ行くから」

「あかん。俺が迎えに行く」

「なんでぇ。河原でやろ思てんのに、遠回りやん」

「ええから俺が行くまで家で大人しく待っとき」


 ぴしゃりと言い切るのは、この話はここまで、という白石の意思表示だ。
 むぅ、と頬をふくらませて不満をあらわしたところで、それが覆らないことは
 経験上よく知っている。
 こと金太郎のこととなると「俺が」「俺が」の一点張りだ。


(だから、過保護、って言われんねん)


 金太郎は自分が甘やかされる立場であることを自覚している。
 その立ち位置は確かに心地いいものだ。
 しかし、白石の甘やかしが少々度を過ぎていることも分かっている。


「わかった」


 了承すると、白石が満足したように頷いた。
 白石は自分の面倒を見ることに責任を持っているに違いない。


「部長も大変やな」


 しみじみと言うと、白石が不思議そうな顔をした。




 白石が遠山家を訪れたのは20時ちょうどだった。
 インターホンを押すと、出たのは金太郎で「すぐ行くー!」という言葉通り
 ばたばたと玄関まで走ってきた。
 いつものヒョウ柄のタンクではなく、ボーダーのTシャツに短いデニムを
 着た金太郎はどこから見ても「夏!」の少年であった。
 金太郎は水色のバケツを持っている。
 バケツには水の入ったペットボトル、ゴミ袋、新聞紙に蝋燭、マッチ、
 主役の花火が詰め込まれていた。
 花火と、その後始末に必要なものすべてを母親がバケツに用意してくれた
 らしい。


「白石も買ってきたん?」


 スニーカーを履きながら金太郎が言う。
 白石の手にも来る途中のコンビニで買ってきたのであろう花火セットが
 あった。
 花火しようと誘ってきたのだから、もちろん金太郎に用意があることは
 分かっていたけれど、どうせなら長く楽しみたい、と買ってきたものだ。
 余れば、改めてテニス部の連中とまた花火をすればいい。


「一応な」


 そんな風に言いながら、白石は金太郎の手からバケツを取り上げて
 歩き出す。
 両手が自由になった金太郎はぱっと白石の前に飛び出して「早よう」と
 急かした。



 河原には人通りがまったくといっていいほどなかった。
 時折ランニングやウォーキングをしている人が通るだけだ。
 早速、と金太郎がマッチをすろうとすると白石に取り上げられる。


「危ないから触ったらあかん。俺がつけるから花火用意しとき」


 それくらいできるわ、と文句を言う前にぱっとマッチで火をおこした
 白石は、蝋燭に火をともした。
 平らな石の上にぽたりぽたりと溶け出した蝋を落として、そこに蝋燭を
 固定させる。


「さぁやろか」

「うん!」


 金太郎は派手な花火を好むのだろうな、と勝手に白石は思っていた。
 ぱっと輝いてぱっと終わる、そんな潔さを好むだろうなと。


「あ、白石ぃ。線香花火は最後やで」

「決まってんの?」

「一番好きやから、一番最後に取っとくんや」


 意外。


「金ちゃん、線香花火好きなんや」

「好きや!でも花火セットにあんまり入ってへんやん」


 残念そうに言う姿を見て、線香花火だけのものを買っておけばよかった、と
 白石は後悔した。しかしこの情報はまた他の機会にいかせばいい。


「だから最後に取っとくん」


 念を押すように言われて、白石が笑う。


「分かった分かった」


 花火が消えるたびにバケツに張った水に落とす。
 じゅ、と火が完全に消える音が耳につく。細いけむりが上がった。

 一通りの花火を楽しんで、最後に二束の線香花火が残った。
 大事そうに金太郎が束の中から一本を抜き出す。


「キレーやぁ」


 ぱちぱちとはぜる火花を一心に見ながら金太郎が言う。
 真剣にも見えるのに、その表情はどこかやわらかい。どきりとする。
 文字通りころころと感情に合わせて表情を変化させ、ひとところに
 じっとしていない金太郎が、やわらかな表情のまま真剣に線香花火を
 見ている。
 金太郎のなめらかな頬や大きな目がぱちぱちとはぜる火花の動きに
 合わせてきらきらと揺らめいた。

(ああ、きれいやな)

 火花がほろりと消えると、同じように目を閉じる。
 金太郎の様子をつぶさに見ていた白石は、手の中の線香花火がとうに
 終わっていたことにも気づかなかった。


「あーあ、もう最後」


 惜しむように言った金太郎が、最後の線香花火を蝋燭に近づける。
 小さな火が線香花火の先にともる。
 ぱちぱちとはぜるのはもうすぐだ。
 最後の線香花火。
 最後。
 その言葉に物悲しさを覚えたのはなぜなのか。
 最後にしたくないな、と思った時にはもう体が動いていた。
 線香花火を持っている金太郎の手の上に手を重ねた。
 金太郎の手は白石の手より一回りもちいさい。
 ぎゅっと握る。
 彼が驚いて線香花火を落とさないように。


「なに、しらいし、」


 火をともすように、やさしくくちづけた。



 終わった線香花火。
 火薬のにおいがいっそう立ち込めたように感じる。
 金太郎は驚いたような顔をして線香花火に目を落とし、また白石を
 見た。
 好きや、とささやくと、大きな目がこぼれおちそうに見開かれる。
 そのままぱちぱちと数回瞬きして、金太郎はうんとひとつ頷いた。




 ぬるい風でも勢いがあるとそれなりに涼しい。
 白石とつないでいない方の手で、金太郎は風に遊ばれ放題の髪の毛を
 押さえた。


「しらいし」

「ん?」

「…元気でた?」

「うん」


 おおきにな、と白石が穏やかな声でこたえる。
 それならええ、とつないだ手に力を込めた。
 おとなしく引かれたままの手が、そのまま答えでよさそうだった。






夏の終わり







───

 花火しながらキス、がしたかった話。

20110814