フィーバー!
「あれ、部長」
タオルを取りに行ったらフェンス越しに白石がいた。
濃いグレーのコートを来てチェックのマフラーを巻いている。完全防備だ。
これで本日3人目のOB訪問である。
あと数人来るかもしれない。
「元、や。部長はお前やろ」
ニッと笑いながらからかわれて、まぁ癖なんてなかなか抜けへんわな、と
呟かれる。
「白石元部長、明日受験なのに余裕すね」
財前がそう言うと、白石が意外そうな顔をする。
「なんで知ってんの?」
「さっきバカップルが来てそう言ってましたから。本命校でしょ明日」
なんとはなしに、顔見たくなるんすかね。
そう言うと、白石は楽しそうに吹き出した。
もわり、と息が白く濁った。
「そうかもしれんな」
「あと何人か来るかもしれないすね。…相手すんのめんどいすわ。師範以外の」
怒られるかと思ったが、予想した雷は落ちなかった。
白石はきょろきょろとコートを見渡している。
寒空の下でプレイする後輩たちの中で、誰を探しているかなんてすぐに
分かる。
「財前、」
「金太郎すか」
聞かれる前に言ってやると、白石はへらっと笑った。
金太郎に関してはどこまでも素直な白石である。
「うん。どこ?」
見たとこいーひんけど、ランニングか?
「今日は休みです。風邪っすよ」
「風邪?!金ちゃんが?!」
嘘やろ、と白石が目を見開く。
金太郎の健康優良児ぶりは有名だ。しかし幼馴染といえないこともない財前は
そうでもないことを知っている。
「あいつ、年に2、3回大熱出すんすわ。溜まり溜まったもんが一気に出るんちゃいます」
「え、でも去年は」
「うまいこと休みの日に熱出してたみたいですよ。次の日にはケロっとしてること
多いから、誰も気づかんかったけど」
「そうやったんや…」
いつやったんやろ、俺全然気づかんかった、と後悔しているらしい白石に
財前は気づかれないようにふー、とため息をついた。
勢いをつけて息を吐けばあまり白くならないのだ。
「オレンジジュース、喜びますわ」
「え?」
見舞いに行く気でしょ、と財前は言った。
受験前日やのにアホちゃいます、と続けてから、
「ちっこい頃、熱出した時に飲んだオレンジジュースがえらい美味かったー
言うて、ずっと好きっすよ」
「そうなんや。おおきに!」
言うが早いか、白石はさっときびすを返した。
が、すぐに振り返る。
「財前!」
「はい?」
「お前も来年同じとこ受けや」
今度は財前が目を見開く番だった。意外だ。意外すぎる。
「………そういうの、受かってから言ってほしいすわ」
「俺絶対受かるしなぁ」
ほななー、と白石は左手を振って歩いていく。
いまだ包帯が巻かれている左手を見て、財前ははぁとため息をついた。
今度は白い息がもわっと揺れる。
「ま、腐っても部長か」
金太郎のひいきはかなりのものだったし、恥ずかしい決めセリフもかなりの
ものだったが、それでも誰もが白石を部長と信頼し慕っていた。
こういうところがあるからやな、と感心する。
(ただのエクスタシー男ちゃうかってんな、やっぱり)
感心されていることなど露知らず、白石は近くのコンビニに立ち寄って
オレンジジュースを3パック持って、少し悩んでからプリンとヨーグルトと
ゼリーを数種類購入し遠山家へ向かっていた。
ピンポン、と古いインターホンを鳴らすが反応がない。
辛抱強く待って、もう一度押そうかなとインターホンに指を伸ばした時、
がたがたと扉が動いた。
続いて、がちゃんと鍵をはずす音がして引き戸がのろのろと開かれる。
「金ちゃん!」
出てきたのは顔を真っ赤にした金太郎だった。
パジャマのままだ。
少しサイズが大きいのか手のひらまで隠れてしまっている。
「しらいしぃ、どうしたん?」
驚いているようだが、目がとろんとしている。いつもは健康的につやつや
しているくちびるがひび割れていて、高熱があることを教えていた。
思った以上に弱っている。
「見舞いに来たんやけど、堪忍なぁ。しんどい思いさせて」
ひょいと抱き上げても抵抗はない。それどころか逆に力なく抱きつかれる。
勝手知ったるなんとやらというやつで、白石は金太郎を抱き上げたまま
2階の彼の部屋まで運んでやった。
ベッドの枕元にテニスボールがひとつ、ころりと置いてあって白石を
微笑ませる。
「なんで来たん…」
ベッドに寝かされ、白石に毛布と布団をかけられながら金太郎が問いかけた。
「部活見に行ったら金ちゃんおらんかったから。風邪で休んでるって財前が
教えてくれたで」
マフラーとコートを脱ぎながらこたえると、そうなんや、と何度もまばたき
しながら金太郎が言った。
帰りは運んでもらったものの、階段を降りて玄関まで出るというのは
高熱の金太郎にはかなりの重労働だったようで、はぁ、ふぅ、と乱れる
息を繰り返している。
(不謹慎やけど、めちゃくちゃかいらしなぁ…)
真っ赤な顔で乱れた呼吸に気を取られた白石だが、内心の動揺を隠して、今
思い出したかのようにコンビニの袋を取り出した。
「そうや金ちゃん、喉渇いてへんか?オレンジジュース買うてきたで」
「飲むー!」
とろんとした目がきらきらと輝く。
寝かせた小さい背中に腕を差し込んで起こしてやり、ご丁寧にパックにストローを
刺してやってから差し出す。
金太郎は白石の手に自分の手を添えてジュースを飲みだした。
「き、金ちゃん…!」
なんというか、可愛すぎる。
白石の声が裏返った。
重ねられた小さな手も燃えるように熱い。
「おいしい」
「そ、そか。良かった」
350mlのパックをゆっくり飲みきった金太郎は、ほぅと満足したように息をついた。
それでもなお熱い背中を宥めるように撫でてやる。
「まだあるさかいな、あとで冷蔵庫に入れとくわ。プリンとヨーグルトもあるで、
あ、ゼリーもあるで!金ちゃん、どれか食べるか?」
まくしたてると、金太郎がくすりと笑った。
金太郎にしては珍しい笑い方だ。苦笑に近い。
「なんやしらいし、おばーちゃんみたいや」
「えっ?!」
おばあちゃんっすか!よりにもよって!
「熱出したり体こわしたりしたらな、いちばん心配していろいろしてくれるねん」
まぁ、確かに世話焼きやわなぁ、おばあちゃんって。孫がかわいて仕方ない
もんやからな。
え、それって完全今の俺?!
納得したものの、なんだか少しがっかりせざるを得ない白石である。
仮にも好きな子に「おばあちゃんみたい」なんて言われたら…そんなたとえ
あんまりだ。
泣いてええかなぁ、と思っていた白石だが、すり、と金太郎が身をよせて
きたことに気づいてそんなことなどどこかへ行ってしまった。
「きもちいい、しらいしぃ」
衝撃的な金太郎の言葉に白石は目を見開いた。
金ちゃん!俺まだなんもしてへんよ!そんなセリフが出るようなこと!
いやずっとしたいと思ってるけど、してへんよ!まだ!
「え、え、ええ?!」
「つめたいから、きもちい」
「あ、ああ。そういう事か…」
熱がこもって熱いのだろう。
邪な思考を恥じながら右手で頬に触れてやると、気持ちよさそうに目を細める。
「ほっぺたあっついなぁ。熱、何度あんの?」
「朝ははちどななぶくらいやった」
38.7℃
聞くだけでも高熱だ。
そんな高熱を出したのはいつ以来なのか、白石は思い出すことができなかった。
健康であること、丈夫であることは白石のとりえだ。
おまけにテニス部部長に就任してから健康管理にはとことん気をつけている。
「いつも熱出たらこのくらい出んねん。ふつーや」
普通ちゃうやろ、と白石が言う前に、金太郎が言葉を重ねた。
「ワイ、前しらいしにうそついた。風邪ひかへんって。でもふつーやから、
こんな熱、ふつうやから、心配せんといて」
「……、アホ」
心配くらいなんぼでもするわ、と言いながらわざと荒っぽいやり方で
金太郎をベッドに寝かしつける。
「白石、帰らんでええの」
どっこいしょ、とフローリングの床に腰を落ち着けたのを見て、金太郎が
どこかそわそわした様子で聞いた。
「来たばっかやん」
「そうやけど、あした受験やろ?昨日謙也が言うとったで」
だからか、と白石は納得した。
来てくれておおきに、じゃなくて「どうしたん」「なんで来たん」だったのも、
心配せんといての言葉も。
さすがの金太郎も「受験」の重要度は分かっていたようだ。
「こんなとこに、いてる場合ちゃうやん。風邪ひいたらしんどいで。熱出たら
受験どころやあらへんやろ」
布団を目深にかぶりながら金太郎が言う。
(アホやなぁ)
熱ならとっくに上がっている。
熱を上げさせている相手はまったくそのことに気づかないけれど。
白石はベッドに肘を置いて金太郎を覗き込んだ。
かぶっている布団を引っ張ると、観念したように金太郎が顔を出した。
そのまっすぐ目を見て言う。
「受験の心配なんて何もいらん。金太郎の方がよっぽど心配や」
「…なんやそれ」
紛れもなく本音だったのに、金太郎は呆れたようにくちびるをとがらせる。
分からへんよなぁ、と白石は苦笑した。
───
まだ白→金。
たぶん白→金な白金が好きだからだと思います。
うーん、手探り中。