雨に隠れて
うわ、降ってきた。
部活も引退し、そろそろ受験勉強でもしておこうかと重い腰を上げた10月の初め。
図書館で勉強していた白石は降り出した雨にため息をついた。
秋の天気は変わりやすいというけれど。
暦の上では秋でもまだ夏の暑さが残っている。
白石にしても制服はまだ半袖のままだ。
降り出した雨は今のところぱらぱらと降る小雨程度の強さでしかない。
ロッカーに折り畳み傘を置いてあることを思い出したが、3階の教室まで取りに
戻るのはいかにも面倒だ。
急いで帰ればそんな濡れずに済むかもな、と校門に向かってやや早足で歩き出した
白石は、ふとテニスコートに目をやった。
今日は月曜日。部活は休みだ。
結局、テニスが好きなんやなぁと自分に苦笑しつつ、コートに人影を確認する。
(誰や、)
目をこらさずともすぐに分かった。
小柄な体に無造作な赤い髪。
金太郎だ。
フェンスからコートを眺めている。
白石は早足を駆け足に変えてコートへと向かった。
「金ちゃん」
声をかけると、すぐさま金太郎が振り返った。
白石だと気づくとぱぁっと顔を輝かせる。
「あー!しらいしー!」
コートを見ていた金太郎は別人のように大人びた顔に見えたのに、白石に笑顔を
向ける金太郎はいつもと変わらず無邪気な子どもの顔をしていた。
「何してるん。雨降ってきてんのに、風邪ひくで」
「ワイ、風邪ひかへんもん」
えっへん、と胸を張って金太郎は白石を苦笑させた。
確かに過保護な一言やったな、と白石は思った。金太郎の健康優良児ぶりはすでに
良く知っている。
「それにな、ワイ雨好きやねん」
「好きでもなぁ…」
「雨に濡れたらな、なんか自分のかたちが分かるから」
曖昧な表現だったが、白石は目を見開いた。
意外な言葉だったのだ。
金太郎が雨を好きだということも、そんな感じ方をしているということも。
時折、金太郎はこうやってはっとさせるようなことを言うから困る。
「罪な子やなぁ」
「はぁ?」
思ったことがそのまま口に出ていたらしい、金太郎に怪訝そうな顔をされて
白石が慌てる。
「いや、何でもない」
「ふーん」
「それより金ちゃん何してたん。ぼーっとコート見て」
「うぅん…なんでもない」
問われて困ったような顔をした金太郎は先ほどの白石の言葉を真似て言った。
「そか、何でもないか」
「うん」
雨は間もなく本降りに変わるだろう。
勢いが増してきている。
そこらへんの草に混じって雨のにおいがむっと強くなる。
「金ちゃん、傘は?」
「持ってへん。濡れて帰る」
「あーかーん!」
叱るような白石の口調に、金太郎が頬をふくらませる。
「白石かてカサ持ってへんやん」
「教室に折りたたみ置いてあるから、一緒に帰るで。家まで送るわ」
「えー、そんなんええよ」
乗り気でない金太郎はくちびるをとがらせたが、
「一緒に帰るんやったらアイスでも買うたろか思たんやけどなぁ」
との一言で、わぁと口を開けた。
「いっしょに帰る!」
「よっしゃ、じゃあ傘取りに行くで」
「うん!」
頷いた金太郎が左手を差し出してきたのに気づいて右手でぎゅっと握る。
もう引退したのだ。
部長ではなく元部長だ。
金太郎のお目付け役も保護者役もお役御免だ。
金太郎から目を離してもいいし、手をつないでおく必要もない。
左手に包帯を巻いておく必要すらないのに。
(でも、なぁ)
自分が目を離したくない、手もつないでおきたい、と思っているのなら話は
また別だろう。
「ほんま、罪な子やなぁ」
ざっ、と一気に勢いを増した雨にまぎれさせた言葉は、まぎれもなく本音だった。
───
雰囲気で…読んでください…!