1 桜花燎乱【おうかりょうらん】
町外れの小さな一軒家。
山裾に位置するそこには、現在二人の住人がいる。
一人は名を白石蔵ノ介といい、町の大きな薬問屋の長男坊。ゆくゆくは
薬問屋の若旦那となるはずだった彼は、薬よりも毒の方に多大な関心と
興味を寄せる変わり者だ。
家を継ぐのは姉の旦那でいいじゃないかとのん気に言い放ち、薬師の
学課を修めたというのに毒草の研究をしたいからとわざわざ町外れの
山裾にある古びた空き家に嬉々として越してきたのであった。
年は二十歳になったばかり。とんだ道楽者とそしられても仕方のない
ところであろう。
空き家と聞いていたにも関わらず、そこにはすでに先住人がいた。
いや、より正しく言うと、先住鬼だろうか。
「ワイ、遠山金太郎いいますねん。よろしゅうよろしゅう!」
桜が激しく舞い散る軒先で出会った子鬼は愛嬌たっぷりにそう名乗った
ものだ。
齢は十ほど、背は蔵ノ介の胸の下あたりまでしかない。
いたずら好きの子どものほらかな、と思い「大人をからかうもんやないで」と
言えたのは最初だけだった。
赤みの強い髪の毛だけならまだしも、太陽の加減と本人の感情の変化とで
大きな漆黒の瞳が金色に輝く。人ではありえなかった。
桜を背後に従えた鬼の子に蔵ノ介は圧倒されたのだ。
金太郎は人好きするが正真正銘、本物の鬼の子であり、小さな悶着を
いくつか起こしてくれた。
それらの些細な顛末に巻き込まれた末、変わり者と小さな鬼は同居し
生活をともにするにいたったのである。
さて、この日白石邸(ぼろで小さいとは言え一軒家であることは間違い
ないので蔵ノ介はしばしばこう呼んだ)を訪れたのは忍足謙也であった。
謙也は町でも有名な町医者の長男坊で、彼自身も医者見習いという立場だ。
蔵ノ介とは同い年でともに医の道を歩んだ学友である。
蔵ノ介は変わり者だが、その点で言うと謙也もはたから見れば似たり
寄ったりのもので、髪の毛を蔵ノ介が調合した妙な薬で脱色している。
蔵ノ介のように生まれつき色素が薄い髪の毛に憧れて、というより地味
より派手がええ、とばかりに金色にしてしまったのだ。
周りの声はともかく、本人はお気に入りである。
「蔵ノ介、おるかー?」
どっかと縁側に座り込んで家の主を呼ぶ。
間もなく、つんとくる薬くさいにおいをまきちらしながら蔵ノ介が現れた。
着流しなのにどことなく品がある。
しかしかなり不機嫌そうだ。
彼は秀麗な顔つきをしている。役者のような顔だ、とよく言われる。
町の学び舎に通っていた頃などは散々娘たちにもてはやされたものだが、
ああいうやかましい娘は好かんねん、とむっつりした顔をよくしていた。
この町はずれの家に住まうようになってからは、その表情をつくる理由が
少し変わってきた。
「金ちゃんは?」
「おらん」
不機嫌の理由はたいていあの小さな鬼っ子だ。
「朝出て行ったきり帰ってこん。おかげで昼飯食いそびれてしもた」
むすっとした表情のままで蔵ノ介が言った。それが謙也にはおかしい。
昼飯くらい好きに食べればいいものを、金太郎と食べようと待っていたのだと
いうのが丸分かりだ。
「ほんまかなんわ、あのゴンタクレは。どんだけ鉄砲玉やねん」
「まあまあ、そのうち帰ってくるやろ。これでも食べて機嫌直せや。
腹減ってると怒りっぽくなるしな」
ほら、と謙也は紙袋からたこ焼きが入っている舟を取り出した。
「おー、ええんか?」
うれしそうな顔をした蔵ノ介だが、すぐに手をつけようとはしない。
すぐにその理由に思い至った謙也が「金ちゃんの分もあるで」と言うが
早いか、包帯を巻いた左手ですささと自分の方へ寄せて勢いよく食べ
始める。
(ほんまおもろいわぁ)
そう思わずにはいられない。
どれだけ文句を並べ立てようと、彼があの小さな鬼の子を可愛がっている
事実は隠しようがないのだ。
「おまえ、そんなあの子に手ぇ焼いてるんやったら大江山にでも放り込んで
きたらどうや」
「大江山?」
「鬼がぎょうさん住んどるとこや。金ちゃんの面倒も見てくれるやろ」
蔵ノ介はたこ焼きをぱくついていた口を引き結び、眉を寄せた。
「ここやとおまえしか大人しゅうさせられんけど、大江山やったら話は
別やろ。なんせ鬼の棲み処やからなぁ。オレ、今度京都行く時にでも
金ちゃん連れて行ったろか?」
「……別にええ」
ばくりとたこ焼きを口に放り込む。
文武両道を地で行く蔵ノ介をからかえる機会などそうはないのだが、こと
あの小さな鬼の子の話となると事情が変わってくる。
それを利用して蔵ノ介をからかうのが最近の謙也の一番の楽しみだ。
勉学でも何かの議論でも蔵ノ介にやり込められたことしかないので、余計
おもしろいというものである。
蔵ノ介がばくばくとやけのようにたこ焼きを平らげていくのを謙也は黙って
見ていた。次はどうやってからかうか、たきつけるか、などと考えていたの
だが、騒々しい蔵ノ介の同居人の登場によってその考えは実行に移される
ことはなくなった。
「蔵ノ介ぇ!ただいまー!」
両手でやっと抱えられるくらいの大きなかごに野菜やら肉のつつみやらが
詰め込まれている。
金太郎が帰ってきたのだ。
朱色の衣を着ている。よく動くからと蔵ノ介が丈を膝で切り詰めてやった
ものだ。
生活上必要なことは一通り以上にできる蔵ノ介である。器用なのだ。
「ああッ、たこ焼きー!」
大きなかごを放り出さんばかりの勢いで金太郎が叫んだ。この鬼の子は
たこ焼きに目がないのだ。
先ほど蔵ノ介がすぐたこ焼きに手をつけなかったのも、小さな同居人の
好物を知ってのことだった。
「心配せんでも金ちゃんの分も買うてきたるで」
ほら、と差し出すと金太郎が大きな瞳をぱっと輝かせた。かごをどっさと
地面に置いて、両手で受け取る。くん、とにおいを嗅いだ。
「わっほーい!謙也、おおきにー!」
ぺこん、とお辞儀する。蔵ノ介が教えた礼儀だ。
次の瞬間には謙也の隣に腰を下ろしている。勢いよく竹串でたこ焼きを突き刺し
ぱっくんと一口で食べた。
「うぅ〜〜〜っめっちゃおいしいわぁ!」
うっとりと金太郎が言った。恋する乙女もかくやという表情だ。
相手はたこ焼きなので色気のかけらもないわけだが。
たこ焼きを頬張って至福の瞬間を噛み締める金太郎に水を差すのは
蔵ノ介である。
「こら、金太郎!どこほっつき歩いてたんや。心配するやろ!」
金太郎が本当に見た目どおりの子どもだというのなら、その心配はしごく
ごもっともではあるのだが、彼は普通の子どもではなく鬼の子である。
夜盗、辻斬り、神隠し……世の中は物騒であるが、金太郎にとってそれらは
まったく恐怖の対象ではない。闇に溶け込むあやかしですら、むしろ金太郎を
恐れるだろう。
しかし蔵ノ介は「それがどうした」とばかりに、子どもが行き先も告げずに
出かけ、あまつ夕暮れまで帰ってこないのはどういうことだと叱る。
もちろん彼は金太郎が鬼の子であることは重々承知している。
してはいるのだが、どうにも俺は金太郎の保護者役という意識が強い蔵ノ介は
親が子に取るような態度になってしまうのだ。
当然、いっしょに暮らし始めてそれは諍いのもととなった。
そんな心配いらん!ワイは鬼なんや!とわめいた金太郎に、「なんや!俺が
心配したらあかんのか!」と蔵ノ介は逆ギレした。
呆気に取られたのは金太郎である。
赤の他人同士、おまけに人と鬼。
それなのに蔵ノ介は言わば「自分には心配する権利がある」と言外に口にした
も同然なのだ。
(ヘンなやっちゃ!)と金太郎は思った。
でも、そこが気に入った。生まれてこのかた、だれかにこんなことを言われた
ことなどなかったのだ。
胸のうちがぽぅっとあたたかくなるような不思議な感覚だった。
だから金太郎は蔵ノ介のその態度ごと彼を受け入れることにしたのだった。
「かんにんや、蔵ノ介ぇ」
素直に謝るのが一番早い。蔵ノ介の機嫌がすぐ直る。
両手を合わせて拝むふりをしながら蔵ノ介を見つめると、次からは気をつける
んやで、と苦笑しながらため息を混じらせて蔵ノ介が言った。
自分が甘いという自覚があるのかもしれない。
その「次」がいつくるのか、金太郎にしても蔵ノ介にしても分かってはいないのだ。
お約束のやり取りになりつつある。
「そんで金ちゃん、どこ行ってたん?」
蔵ノ介の機嫌が直ったのを見てとって、謙也が訊ねた。
「えっとな、光のとこ行ってな、帰りに寺子屋の子ぉらと鬼ごっこしてな、そんで
畑とか手伝ってな」
かごいっぱいの食料はその手伝いのお礼だったらしい。
そうか、と蔵ノ介は頷いた。
「銀のとこ行ったんか。元気やったか?」
銀とは、町のほぼ鬼門に位置する石寺の和尚である。訳あってその和尚に恩を
感じ押しかける形で修行させてもらっているのが光だ。
光は金太郎と同じく鬼である。
幼い頃、川で溺れて一度死んだのが原因で鬼になってしまった。
愛しい女を喰らって鬼になる、というのがメジャーなところだが、光のような
境遇も鬼になる過程としては珍しくない。
光は見た目こそ十四、五歳だが、実年齢で言うと蔵ノ介や謙也とほぼ同じだ。
鬼は成長の速度がひどくゆるやかになるのである。一番「力」が強い時期の
姿を一番長く維持できるという。
とかく、言わば光は金太郎の先輩にあたる。人生においても鬼の時間においても。
何かにつけ兄貴風を吹かす理由だ。
「元気やった!そんでな、ひとつ頼まれごとがあって…」
「金太郎、また安請け合いしてきたんやないやろうな」
金太郎には悪い癖、というか困った性分があった。
とにかく正義感が強いのだ。
悪いやつは悪い、勧善懲悪の思想である。正義のヒーローというものが金太郎は
大好きなのだった。鬼のくせに。
「だって困ってるひとは助けたらなあかんて蔵ノ介も言うとるやん」
蔵ノ介も人の子である。弱きを助け、強きを挫く。そういう物語は小さい頃から
好きだった。
むしろそれは人としての基本であろう。
「そうは言うてもなぁ…」
「そう言わんと、ちょっと話聞いたりや」
「なんや謙也いきなり」
「いや、たぶんオレの頼みごとと一緒やねん。オレ昨日銀のとこ行っててな」
金太郎と謙也が口々に語った『頼まれごと』とはこんな具合であった。
いわく、妙なあやかしが大阪を闊歩している。
そのあやかしは人の『一部』を盗んでゆくらしい。
春の宵から初夏へと変わる活気付いた季節に流れる噂にしては不気味で
ある。
まことしやかにそんな噂が囁かれていたのだが、銀のところに一人の男が
助けを求めやってきたのだ。
右目を盗られた、とその男は言った。
千歳千里、という大きな数字を名に持つ彼は体も大きく銀ほどの身長が
あるのだという。
それはさておき、その千歳はある日を境に右目の感覚ごと「盗られた」の
だと言う。
全く見えない。視力を失ってしまった。
それどころか、右目が「ある」感覚すらなくなってしまったのだ。
千歳自身は左目があるからその状態は不便だが日常に支障はあまりない、と
思っているのだが、彼の親友はそうは思わなかったらしい。
右目が盗られたその日、千歳と親友は庭球に興じており、勢いのついた球が
千歳の右目に直撃した。
それが原因でないことは千歳本人が一番分かっているものの、彼の親友は
右目が見えなくなった原因を自分の打った球だと言った。
このままでは親友が気に病んだままになる、なんとかしてほしい。
盗られた右目を取り返したい、ということだった。
「そんでワイと蔵ノ介の出番やねん!」
「いや、そうは言うても俺は金太郎と違て普通の人間やし…」
「普通ちゃうやん!蔵ノ介は毒手持ってるもん!それにこの前ワイの友だちの
姉ちゃん助けてくれたやんか!」
金太郎が言うのは、殺人の汚名を着せられそうになっている女性を救った件だ。
恋人を殺した、と疑われていた彼女を救ったのは蔵ノ介だった。
彼女のアリバイを無駄なく証明した上、その恋人が食事処で食べた鍋に入って
いたきのこの中毒死であることを見抜いたのだ。
「あれは偶然やで、ただの」
「ちゃうもんー!」
金太郎が駄々をこねるように足をじたばたさせた。こういう幼い仕草を見るに
つけ彼が鬼だと忘れてしまいそうになる。
謙也が面白そうに二人のやり取りを見つめていた。
「金ちゃんもこう言うてるんやし、銀の頼みでもある。やったれや、蔵ノ介」
「お前は?」
「オレか。オレこそそんじょそこらの普通の人間やからなぁ、そんな大層な事件に
首よう突っ込めへんわ」
まるで他人事のように謙也は言った。事件とは己の身に降りかからなければ
面白い見ものなのだった。
…と、割り切るには謙也は善人すぎる。
「まぁ、医院で情報仕入れとくわ。噂好きが集まりよるし」
「頼むわ」
その言葉を聞いて金太郎がぱっと顔を輝かせる。
協力してくれる気になったんや!
そのまま蔵ノ介に飛びついた。
「蔵ノ介ぇ!」
「こら、離れ」
「千歳、助けたろうな!」
「はいはい、せやな」
やれやれ厄介なことになった。
結局のところこの鬼の子に甘い顔をしてしまう蔵ノ介はため息をついた。
───
ノープランの見切り発車白金パラレル。
どたばたコメディ的なノリで四天っ子をわいわいさせたいです
何時代?!とかは深く考えずまぁノリで!お願いしますw
20110908