おおきくなって、忘れて
ユウジが沈んだ顔で階段を降りていくところを見てしまったのは偶然だった。
彼は「黙っていると怒った顔に見える」顔立ちではあったが、暗く沈んだ
ものとはまた別物だった。
白石は少し考えたあと(昼休みは残り何分か、次の授業は何か、等)ユウジを
追いかけても支障なしと判断し廊下を小走りに駆けた。
昨日、引率者(と書いて邪魔者と読む)つきとはいえ、金太郎と一緒にたこ焼きを
食べに行くことに成功した白石である。
他人のことを思いやる余裕は十分だった。
「ユウジ」
「……白石か」
階段を降りきる直前で振り返ったユウジはやはり怒ったような顔をしていた。
こういうやつってたまにおるよなぁ、と白石は思う。
黙っていても笑った顔に見えるひともいれば、ユウジのように正反対の顔に
見える者もいる。
後者は断然損だろう。
「どないしてん」
「何が」
「顔や、顔。お前の」
「おれの顔は元からこんなんや」
小春がそばにいない状態で、特にお笑い事に関係もない素のユウジは確かに
無愛想な中学生だ。
しかしその沈んだ色は隠しようもない。
「なんかあったんか。小春と」
大体にしてユウジをへこませることができるものとは小春しかありえない。
ユウジは驚いたような顔で白石を見た。
大げさに体をそらせて驚いたポーズまでしている。
「な、なんや白石…おまえ、鋭いな」
鋭いも何も、四天宝寺中学校のほぼ全員がユウジの不調の原因を言い当て
られるだろう。
そこのところにユウジ本人はまったく気づいていない。
知らぬは本人ばかりなり、とは言いえて妙だ。
誰でも分かると思うで、とは言わず、白石はユウジの言葉の続きを待った。
小春関連だとユウジは促さずともしゃべりだす。
時折ユウジは小春に対する気持ちだとか、小春に関する話をしたがる。
誰かに聞いてほしいのだろう。
なぜかその相手は白石であることが多かった。
「…小春って賢いやろ」
「せやな」
「小春って頭ええやろ」
「せやな」
「だから小春の言うことに間違いってあんまないやろ」
「…そうかもなぁ」
白石が頷くと、ユウジは大きくため息をついた。
「せやから、小春に言われると余計にがっかりした」
ユウ君のそれははしかみたいなもんちゃう。
そう小春は言ったのだ。
屋上でお弁当をかこんだ、昼休みに。
ユウジは驚いて唐揚げを落としてしまったが、追いうちをかけるように
ユウ君何してんの、という小春の穏やか過ぎる声がよりショックだった。
自分の想いを否定されたような気がしたのだ。
たとえ小春であろうとも、自分の気持ちを否定する権利などないし、ユウジ
自身、自分のことは一番分かっているつもりである。
しかし、相手はあの小春で、ひとの気持ちを知る術を心得ている小春で、
だからこそ「小春がそう言うんやったらそうなんかな」と思ってしまう。
ユウジはぽつぽつと壁に背を預けながらことの顛末を簡潔に説明した。
白石がいだいた感想は(小春は意地が悪いな)である。
あのIQ200の天才はユウジの気持ちに嘘がないことを知っている。
知っていてなお予防線を張ろうとしている滑稽さにも気づいているだろうに。
ひとの恋愛にはお節介をかましてくるくせに自分はどうやねん、とユウジから
話を聞くたびに白石は思うのだ。
「はしか、なぁ」
「初恋ははしかみたいなもんやてよう言うやろ。それと同じやって」
「はしかにしては長くかかりすぎやろ」
ユウジの小春愛は去年の4月頃にコンビを組んでから着々とはぐくまれてきた
もので、はしかと言うには少々長すぎる。
そんな風に一時で過ぎ去って終息するようなものとはとうてい思えない。
と、呆れも含んで白石は口にしたのだが、ユウジはわが意を得たりとばかりに
顔を輝かせた。
「せやろ!分かってくれるか!白石!」
「お、おう、分かるで」
「子どもかて大きくなって忘れていくって小春に言われたけど、やっぱそんなん
関係あらへん!おれは、おれは、どんだけボケても小春のことだけは忘れへん
ぞ!」
両手を天に突き出すようなポーズでユウジは宣言した。
それを小春本人に言うてやれ、と白石は思う。
しかし、
(わりとグッときたな今のは)
愛やなぁ。
まだ人生の半分の半分にも満たない時間しか生きていない身で、愛だの恋だの
どうこう言えるわけではないかもしれないけれど、白石から見ればユウジの
それは間違いなく純愛だった。
(大人になって忘れ……られるわけないか)
ふと自分に置き換えてあの小さな姿を思いえがいたそのタイミングで、さっきとは
違い晴れ晴れした顔のユウジがしたり顔で言った。
「おまえは金太郎さんやもんなぁ」
「え……、えっ?!」
「…まさか、気づかれてへんとでも思うてたんちゃうやろな。白石はおれと違って
めっちゃ分かりやすいで」
いやそれこっちのセリフやから!
反射的に言い返そうとしても、口がぱくぱくと開閉を繰り返すだけだった。
「ま、気張ってこうや!」
すっきりした顔でユウジは白石の肩をぽんと叩くと、階段を駆け上がって行った。
追いかけるように予鈴が鳴り始める。
「え、えええ?!」
知らぬは本人ばかりなり。
白石がその意味を痛感すると同時に、午後からの授業の始まりを告げる本鈴が
鳴り響いた。
───
純愛クラブも仲良しだといいなと思って…!
20110816