がらりっ、と教室のとびらが開いた。
開いたと同時に小さい影が飛び出してくる。
「あー!謙也やぁ!」
「金ちゃん!」
もう部活用のジャージを着込んでいる謙也とは違って、金太郎は制服の
ままだ。
金太郎は驚いた顔をしているが、謙也の方は別段驚いてはいない。
「追試、終わったんか?」
中学校に入って初めての中間テストで5科目中4科目赤点というあんまりな
成績を取ってしまった金太郎には当然追試が課せられた。
それが今日だったというわけだ。
土曜日。
普段なら午後から丸々部活動に充てられるのだが、その時間を少し削って
追試が行われていた。
「終わったで!今から白石に報告しに行こうと思っててん」
満面の笑みで言うところから見ると、出来は良かったらしい。
白石の家庭教師ぶりは有能だったし、最初は「イヤや!」「どうせアホやし
わからへんもん」などと頑なだった金太郎も『分かれば楽しい』と気づいて
からは真剣に課題に取り組んでいた。
難しい顔をしてうんうんうなりながらがりがりとシャーペンを走らせる姿は
微笑ましく、誰かれと金太郎にお菓子を与え「賢いなぁ」「エライなぁ」と
励ましたのも当然の話だろう。
なおかつ結果がついてきたというのならテニス部全員で見守った甲斐があった
というものである。
そして実はと言えば、心配性の謙也は、金太郎の様子を窺いにきたというわけ
だった。
「そうかー、良かったなぁ。頑張ったな金ちゃん」
エライで!とおさまりの悪い髪の毛を撫でてやると、金太郎がうれしそうに
笑う。
「えっへへー。がんばったごほうびにな、白石にたこ焼きオゴってもらえる
ねん!たんと食べさせてくれるって約束しとってん!」
「お、ええなぁ。じゃあオレは…そうやなぁ、たい焼き食べさせたる!」
「ほんまにー?!」
「この前おいしい店あってん。黒糖たい焼きがめっちゃうまいねんで」
「わっほーい!」
ぴょんぴょんと飛び跳ねて喜ぶたびに、赤みの強い髪の毛がその動きに
合わせてふわっふわっと上下する。
ヒョウ柄着てんのにウサギみたいや、と謙也は笑った。
「そういえば、謙也なにしてんの?こんなとこで」
「今休憩中でな。忘れもん取りにきてん」
実は忘れ物の方がついでなのだが、心配性をからかわれるのが嫌だったので
謙也は誰にも口外していない。もちろん金太郎本人にも言う気はなかった。
謙也の手にはうすっぺらくて四角い物体がある。
金太郎は詳しく知らないが、それで音楽が聴けることくらい知っている。
財前も同じようなものを持っていて、時折イヤホンを分けて曲を聞かせて
くれるのだ。
「そうなんや。謙也は何聞くん?やっぱ英語の曲?光はなー、なんか英語の曲
ばっかり聞いてんねん」
いい曲なんやろうけど、何言ってるかさっぱりやねん、と続ける金太郎に
笑みがこぼれる。
「英語の歌も聞くで」
イヤホンを渡して片方を金太郎に付けさせる。
謙也も片耳にイヤホンをすると金太郎の身長に合わせるために身を屈めた。
くるくるとパネルを操作して曲をスタートさせる。
前奏なしに歌が始まる。
「これ何て言ってんの?」
「オレの悩みを誰もわかってくれへん、昨日髪切ったのに、あの娘はなんも
言ってくれへん」
すらすらと英語の歌詞を和訳していく謙也を見て、金太郎は目を輝かせた。
「へぇ〜!謙也すごいなぁ!」
「これはな、歌ってんの日本人やねんで」
「ほんまに!?めっちゃ……ね、ネイティブ、やけど」
「おー!金ちゃんネイティブって意味知ってんねんな!エライなぁ」
「白石に教えてもうた!」
「そうかそうか」
「ここは何て言ってんの?」
「サビやな。…この世界はちょっとおかしいけど大好きやねん。さあでかけよか、
外はいい天気や!やで」
謙也ほんまにすごいなぁ!と純粋に感動している金太郎にちょっと恥ずかしく
なってきた謙也は、そうかとそっけなく言いながらイヤホンを外させた。
「あ!なぁ、謙也」
「ん?何や?」
「ワイな、白石にたこ焼きもらうんやけど」
「ああ、ごほうびやな」
「ワイもな、白石にごほうびあげるねん」
「なんで?…あー、家庭教師のお礼とか?」
浪速のスピードスターは話が早い。話の理解も早い。
「うん」
素直に頷く金太郎を見て、そうかー、と謙也も頷きをひとつ。
なるほど、何がええかオレに相談したいんかな、と謙也は思った。
(うーん、仲良うなってきとるなぁ)
余所余所しいどころか、白石を怖がっていた金太郎が、いまや完全に
白石に懐いているのだ。
白石の奮闘をそばで見ていた謙也にとっても喜ばしい。
何か白石欲しがってたもんあったかなぁ、と記憶を探り始めた時、
金太郎が口を開いた。
「白石な、ワイが欲しいって言うんやけど」
「…………は?」
「具体的になにしたらいいんやと思う?」
「………………ちょお待って、金ちゃん」
具体的に、なんて言葉が金太郎の口から出てきたことも驚きだが(ほんまに
賢くなってる!)それ以上のとんでもない発言が飛び出したことの方が余程
問題だ。
謙也は目を閉じた。
そしてカッと見開いた。
がしっと金太郎の両肩を掴む。
あまりの剣幕に金太郎がびくっと体を震わせ一歩退いた。
「白石が?金ちゃんを欲しいって?」
「う、うん」
「で、金ちゃんは何て言うたん。まさかいいとか言うてへんよな…」
「べつにかまへんで、て言ったで」
「金ちゃんんんん!!!」
何言うてんの!あかんで!あかん!絶対あかん!
ていうかあのアホ何言うとんねん金ちゃんに!アホか!
「あかんで!オレはそんなん絶対許さへんで!!」
突如、ぎゃんぎゃんと自分の肩を掴んだまま喚き始めた謙也に、びくりと
金太郎が体を揺らす。
「け、謙也…なに怒ってるん」
「怒ってるんちゃう嘆いとるんや。おいで金ちゃん!」
ぐい!と左手を引っ張られて、金太郎がわぁと悲鳴を上げる。
「いった!痛いっ、謙也!」
けんや〜、と縋るように呼んでみるものの、当の謙也は聞く耳持たずである。
金太郎の手首を引っつかんだまま、どし、どし、と廊下を激しく踏みしめて
進んでいく。
廊下が白石の背中だったらいいのに、と謙也はなかば本気で思った。
どん!と、ひときわ激しく廊下を踏みつめる。
「金ちゃんの危機感のなさにつけこんであいつは…アホか!」
金ちゃんいくつやと思とるんや!まだ12歳やぞ?!アカンアカン、絶対に
アカンそんなこと許さへんでオレは!ていうかそういう目で金ちゃんの
こと見とったんか白石は!変態もええとこやんか。何がエクスタシーや!
バイブルや!
男である白石が、これまた男である金太郎に懸想していることを問題にして
いないあたり、謙也も完全にラブルスに毒されている。慣れとは恐ろしい。
「金ちゃん!」
「はっ、はい!」
思わず出た「はい」である。常日頃から先輩に敬語を使わない金太郎だが、
今の謙也には逆らってはいけない何かをびしびしと感じる。
怖い。毒手より怖いかもしれない。
「その件に関してはオレがきっぱりお断りしたる!」
金太郎の手を引いて、前を向いたまま断固とした口調で謙也は言った。
「そ、その件?」
「金ちゃんが欲しい云々言いよったことや」
「なんかあかんの?」
「何があかんて金ちゃんが意味を分かってへんとこや。いや、分かってても
許さへんけど!」
分かってたら分かってたで許したくないけども!
謙也にとって金太郎は弟のようなものだ。謙也には実弟がいるが、どっちも
どっち、今や同じくらい可愛い存在である。
そんな金太郎が白石の毒手ならぬ毒牙にかかろうとしているのを見過ごす
ことができようか、いやできるはずがない。
「断固拒否や!オレは戦うで!」
「け、けんや〜」
何の話なんやぁ、と左手をひっつかまれたままの金太郎が嘆く。
ずんずんと謙也はテニスコートに向かっていく。
もはや徹底攻勢の構えだ。
成績においてもテニスにおいても、謙也が白石に勝てることは少ない。
しかし退けない戦いもある。
相手は白石だ。
それ相応の覚悟が必要だろう。
相討ち覚悟。
───
謙也と金ちゃんの兄弟っぷりはほんと可愛い!
金ちゃんは3-2に愛されてればいいです。
謙也は白石と違って恋心も下心もないです。あってもいいけど(コラ)。
20110805