屈んで、背伸びして
「ひーかーる!」
部室のドアをすごい勢いで開け放って金太郎は大声を出した。
ちょうど練習着に着替え終わったところだった財前が胡乱気な眼差しで
ドアを見る。ちょうど逆光で金太郎の顔は見えない。
周りの先輩たちが「金ちゃん今日も元気やなぁ」とのん気そうに笑う。
この人ら、金太郎に甘いな、と思うのはこんな時だ。
オレは甘ないで、と財前がことさら面倒そうに口を開く。
「部室壊すなよ」
「こわさへんわ!それよりな、昨日はおおきにな!」
たた、っと軽い足取りで距離を埋めてきた金太郎ににっこりと言われて
財前は「昨日…?」と首を傾げた。
「ああ、オレは道案内しただけや。お前抱えてたんは部長やぞ」
「もう白石にはおおきにて言うた!」
金太郎は胸を張って答えると、ばっとロッカーに駆け寄って学ランを
脱ぎ始める。
いつでも割と機嫌が良さそうな金太郎だが、今日は鼻歌でも歌いだしそうな
ほど機嫌がいいように見えた。
「なんや機嫌ええな」
「えー、それ白石にも言われた」
練習着用のヒョウ柄タンクに着替えながら(学ランの下に着ていたものとどう
違うのか財前には分からない)金太郎は驚いたように言った。
「そんな嬉しかったんか」
主語をはぶいたのはわざとだ。
金太郎との会話に主語はあまり必要ない。なんとなく分かってしまう。
「うん」
こくりと素直に金太郎が頷いた。
そうか、と財前はそっけなく流す。
まぁ、いい傾向やな、とは心の中だけで。
財前が続きを促すまでもなく、金太郎が彼にしては珍しく小さなアクションで
手招きした。
かがんで欲しい、ということらしい。
面倒くさいが一応身をかがめてやると、金太郎が背伸びする。
金太郎は両手を口元に当てて、財前の耳に向かってこそこそと小さな声で
「あんな」と言った。
完全に内緒話の体勢だ。
子どもやな、と財前は声を出さずに笑う。
「きらわれてると思ってたし、うれしかった。おかーさんがな、あんたのことすごい
大事そうに抱っこしてたって言ってて、びっくりしてん」
まるでとっておきの秘密を話すかのような小声で打ち明けられる。
財前はかがめていた身を起こした。
呆れたように、これみよがしに息を吐く。
(嫌われてるってアホちゃうか)
嫌いな相手あんな構うかいな、アホ。
…と財前は言わなかった。
己に向けられる好意というものに金太郎はとことん疎い。
というより、あまり自分が周囲からどのように思われるか、見られるかという
ことを気にしないのだ。
周りをかえりみない、ということではなく、評価を気にしない。
誰にどう思われても自分は自分──そこまで金太郎が考えているかどうかは
分からないが、そういう自分を確立している彼のことを財前は気に入っている。
「そりゃ大事ちゃうかったらわざわざ助けに行かんやろ」
高架下の一件だ。
「あれは白石は部長やから、義務?、やと思ってた」
「義務て…」
部長の義務を越えている、とは財前はやっぱり言わなかった。
金太郎がやたらとトラブルに巻き込まれる体質であることと、金太郎自身が
核弾頭並の危険さを持ち合わせていることをテニス部員全員が理解している。
「そやし、」と続けた白石はしばらく金太郎から目を離さへん、と公言した。
しかし公言したその日、金太郎がすでに帰ったことを知るや否や「メニューの
ことは健ちゃん任せた!」と丸投げして自転車に飛び乗ってしまったのだから。
白石にあるまじき行為だった。
白石は部長だ。
それこそ部長の義務や責務を重んじる。
小石川いわく、ほとんど最終確認も済んでいた、ということだが、それでも
白石らしくない選択だった。
結果としてその選択は正しかったわけだが。
あの高架下の一件以来、金太郎は実に平和な登下校を送っている。
ヒョウ柄タンクの子どもより白石のネームバリューが勝ったというところか。
(お前は新入生やから知らんやろうけど、部長はめっちゃ怖いねんで)
去年、何も知らなかった一年生だったの財前から見た白石の印象は、最初
金太郎が抱いていたものとほぼ同じ。
物腰の柔らかな優男。
そんな男が三年生を差し置いて二年生で部長だ。
(オレやったらようできん)
部長の重圧は並大抵のものではないだろう。
しかも四天宝寺は関西の雄とも言われるテニスの強豪校なのだ。
その強豪テニス部で二年生にして部長になったのだから、プレッシャーも相当の
ものだったに違いない。
部長として常に勝利を要求される。
チームの統率者。上に立つ者。
四天宝寺の校風のおかげか、その状態は特に問題を引き起こさなかったらしい(
三年生もオサムの提案を平然と受け入れたというし)(さすが四天宝寺生とでも
言うべきか)(ええやん白石やったら!イエーイ!というノリで胴上げされたとか
なんとか)。
周りのフォローもあって白石は部長職をてきぱきとこなしていったが、その
重圧がもたらすストレスは内へ内へとこもらず外へ外へと拡散した。
今となってはエクスタシーエクスタシーと連呼するあの口から「売られた喧嘩は
安ければ買うで。まとめ買いや」などという言葉が飛び出していたなんて俄かには
信じがたい。
こっそりと教えてくれたのが謙也でなければ信じられなかったところだ。
「白石めっちゃ強かってん。でもなー、あとでようよう考えてみたらな、白石は
ケンカなんかせんでも毒手出したらすぐに勝てんのに。白石ムダきらいやのに、
なんで毒手使わへんかったんやろ」
「………毒手出したら相手死なせてまうやろ」
「あ、そっかー。そやな!」
すぐさま納得した金太郎にため息が出そうになる。
(こういう、素直っつーかアホなとこがツボなんやろか部長は。あの人どことなく
捻くれてそうやしな)
財前にバカにされているとは露ほども知らず、着替え終わった金太郎は
宝物のラケットを手に「光行こうやー!」と声を張り上げる。
「そんな大声出さんでも聞こえるわ」
しかし、金太郎の元気があるのならそれにこしたことはない。
怖がるなんてらしくないのだ。
お前は強気でいたらええねん。
財前はまだまだ小さい金太郎の頭をこづいてコートに向かった。
───
金ちゃんがたまにひらがな喋りなのは「金ちゃんこの漢字読めへんやろうな」という
独断と偏見からです。ほんとは「義務」も「ぎむ」にしたいところでした(どんだけ)。
財前呼びなのも分かっている、分かってはいる、でも光って呼ばせたい!という
欲望に負けました。同小、いいですよね…!
20110721