この腕に収まるサイズ
「白石ー!」
後ろから呼びかけられて白石は自転車のブレーキをかけた。
ききっ、という音が響き、自転車は白石に従ってその動きを止める。
会いたかったような、会いたくなかったような。
いや、正直に言う。
会いたかった。
金太郎だ。
いつものような軽快な足取りで金太郎はひょいと白石に並んだ。
このまま一緒に学校まで行く気なのだろうな、と思って白石は自転車を降りる。
「あんな、昨日はおおきに」
にぱっ、と音がしそうなくらいの笑顔に、知らず鼓動が早くなった。
早鐘を打ち始めた心臓が痛い。
「ああ、ええよ。そんなん」
「うちまで送ってくれたん白石やろ?おかーさんが、えっらい男前に抱っこされて
帰ってきたって言ってたで」
「抱っ…!」
それは確かにその通りなのだが、言われてしまうと恥ずかしすぎる。
やっぱりおんぶにしておけばよかった。
でもバスを降りるときにはもう抱えてしまっていたし、誰かに手伝ってもらって
背中におぶるのも面倒だったし、まぁそういう理由で!
見たところ、金太郎は上機嫌なようだった。
笑顔の大盤振る舞いに、いつも少しだけ感じさせる余所余所しさもなりを
潜めている。
上目遣いで白石をじっと見つめて、なぁ、と呼びかける。小首まで傾げて。
(この子、俺をどうしたいんや!)
昨夜、恋心を自覚したばかりの白石である。
(今の俺には刺激が強いでこの仕打ち!)
「ワイ、重なかった?腕疲れてへん?」
「金ちゃんくらい軽いもんや」
金太郎の体格と体重であれば、白石くらいの男なら誰でもあれくらいできる。
なにしろすっぽりと腕に収まるサイズだ。
とたんに昨日腕の中にあった金太郎の体温を思い出して、白石は慌てた。
わざとらしくゴホンと咳払いする。
変に思われへんかったやろか、と金太郎を盗み見る。
金太郎はやっぱり上機嫌で、白石の様子を気にすることもなく歩いている。
金太郎の足取りはいつも元気で軽やかだが、今日は一段と軽い。跳ねるようだ。
跳ねるような足取りに合わせて赤みの強い髪の毛がふわりふわりとなびく。
「金ちゃん、今日は機嫌ええなぁ」
「え?うーん、そかなぁ」
「なんかええことでもあった?」
金太郎は目をまるくして白石を見た。そしてぴたりと足を止めてしまう。
あれ、と白石も自転車を押す手を止めた。
じっと白石を見上げていた彼は、やがて大きくうんと頷いた。
そうかー、と白石は頷いた。
金太郎のことだ。
昨日の夕飯が大好きなメニューやった、とかかな?
そう考えて軽く疑問を口にした。
「何あったん?」
「昨日、白石がうちまで送ってくれた!」
今度は白石が目を丸くする番だった。
驚いて言葉がでない白石をよそに、勝手に恥ずかしくなったらしい金太郎は
急に、ワイ先行く!と言って走り出してしまった。
その後ろ姿がみるみる小さくなっていくのを呆然と見送る。
「な、んやねん…」
それは卑怯やで。反則やで!
だって。
だって、それはつまり。
(俺に送ってもらったんがうれしかったんやって、思ってもええ?!)
嬉しさと恥ずかしさで、白石はまた頭を抱えたくなった。
ここが往来でなければ、そして自転車を押していなければ間違いなく頭を
抱えていたに違いない。
(あかん今誰にも会いたくない!絶対顔赤い!顔ニヤける!)
白石は地面を蹴って自転車に飛び乗った。
このままのスピードだと走って行った金太郎に追いついてしまうかもしれないが
気にしてはいられなかった。
幸い、ものすごいスピードで自転車を漕いだおかげで赤い顔を誰にも見られずに
済んだ白石だが、「朝からテニス部の絶頂部長がチャリで全力疾走!」の現場を
朝練や何やらで早めに登校していた一部の四天宝寺生に見られることになった。
ぜいぜいと息をつきながら、満足そうな顔で汗をぬぐう白石に自転車置き場で
遭遇したのは謙也である。
自転車置き場にすごい勢いで飛び込んで行ったのは見えていた。
あいつ朝から元気やなーと若干呆れて謙也は何気なく「白石ー朝からなんや
エクスタシーなことでもあったんかー」と聞いた。
自転車の鍵をとめながら、ん、と白石が顔を上げる。
「お前、たまにめっちゃ鋭いな!」
「たまにってなんやねん。失礼な」
お前最近結構分かりやすいで、と言ってやろうかとも思ったが、「もう、ちょう
エクスタシーや!」という白石の機嫌を損ねるのもなんだったので謙也は沈黙を
守ったのだった。
───
ようやく白金になりそうな気配。
20110719