唇の距離




 むいー、むいー、と携帯がぶるぶると震えている。
 入浴を済ませたあと、日課のストレッチの手をとめて、鞄の中をかき回す。
 あー、マナーモードにしっぱなしやったか、と白石は携帯を手に取った。
 メール受信が完了したらしい。


 件名は『いやーん、かわいい☆』
 本文は『蔵リンったらヒューヒュー!』


 送信者は金色小春。


(なんやこの頭悪いメールは…)


 思わず額を押さえる。


 しかもヒューヒューって古っ!
 なんやそのノリ。
 お前ほんまにIQ200か?


(なんやねん、本文こんだけかぁ?)

 そのわりにスクロールバーがやたらと長い。
 スクロールしていくと、画像が1枚。


「…っ!」


 今日の練習試合の帰り、バス車内での写真だ。
 たぶん最後の一枚。
 そこでしか金太郎の顔を見ようとしていなかったはずだ。


「うーわ、なんやこれ俺の顔…」


 思わず一人ごちてしまう。
 人は自分がどんな表情か鏡でも見ないと分からないものだ。

 写真の中の自分は、驚くほどやさしい顔をしている。
 しかもやさしいだけじゃない。


(なんでこんな甘ったるい顔しとんねん俺は!)


 横顔だけでもそれが分かった。
 俺、こんな顔できたんか、と半ば本気で思うほどに。


「…はは…笑える」


 笑い声が乾く。フローリングの床に笑い声が落ちる気がした。


(母性…とはちゃうよな)


 男にも母性本能みたいなんあるって聞いたことあるようなないような、
 あるような…やっぱりないような。
 なんとか気が付いた事実から目を背けたくてそんな風に考えてみる。


(いやいや、落ち着け俺)


 落ち着いたところで画像に変化はない。
 携帯のディスプレイに表示されている自分の顔は相変わらず甘ったるい
 ままだ。


(だってこれ、明らか好きな子を見る顔やん!)
(完全恋してるやんこいつ!ていうか俺!)


 当の金太郎はいつもの騒がしさはどこへやら、かわいい顔で眠っている。
 大人しい子どもに見える、と言った小春に同意見だ。
 そんな金太郎を甘ったるい顔でのぞきこんでいる自分。

 まるでキスでもするかのように。


(あかんあかん!)


 白石はぶんぶんと頭を振った。
 携帯を握り締める。
 みし、と小さい音を携帯が発して、慌てて力を抜いた。
 そしてもう一度液晶画面に目をやる。
 何度見ても画像は変化してくれない。当然だが。


 いつから。


「小春のやつ…」


 余計なことに気づかせてくれたなぁほんま。
 白石は頭を抱えた。文字通り、本当に両手で抱えた。


(小春も知っとったってことやろ)


 自覚すらなかった。
 恥ずかしすぎる。
 第三者の指摘で気づくってほんまどないやねん。

 しかしそう思えば、あっと思うことや納得できることが一気に増える。

 千歳ちとせ、また千歳。彼自身になんら他意がないと分かっていても気に
 入らなかった理由とか。
 自分にだけ線を引いたような金太郎の態度にやけに傷つく理由とか。
 嫌がられるかな、と思いながらも構ってしまうのは何故だったのか、とか。

 いつから?
 部屋のすみっこに立ち尽くしたまま白石は自問する。

 最初は本当に手のかかる後輩だと思っていただけだ。これは間違いない。
 とんでもないゴンタクレが入ってきたもんや、と思ったものだ。
 じゃあ、いつから?

(確かに、気にはしてたで。俺は部長やから、あの子の面倒きっちり見なって
 思ってたし。あんな手のかかる子初めてやったし)


 いつ、摩り替わったというのか。


(その前に、いくら可愛くてもあの子男やし!)


 はた、と気づく。
 長いため息が出た。
 もうラブルス──しいてはユウジををバカにできない。


「……可愛いって思ってる時点で終わってるやん俺!」


 まず、どこが、とか。
 どうして、なんで、と思わずに「いつから」と考えた時点で終わっている
 わけだが。


(親心が恋心になるて…そんなんありか?!)


 自らの問いかけに答えられるはずもない。
 うぉあー、と普段なら絶対出さないような声で白石はうめいた。

 ストレッチの続きなど、できるはずもなかった。





───

 第三者に指摘されて気づく恋ほど恥ずかしいものはない!の巻。
 お題も折り返し地点だというのにまだ白→金て…!

20110717