あの人の特等席




 この状況おかしいやろ。
 白石は微動だにしないまま、目線だけを目一杯右に動かした。
 右肩、というか右腕に頭を預けて寝ているのは金太郎だ。
 すぅ、すぅ、と規則正しい寝息が聞こえてくる。


(右腕ちょうぬくい…)


 道が悪いのか、ごぅん、と車体が少し跳ねる。


(ちょっと運転手さん!もうちょいちゃんと運転しろや!)


 金太郎が起きる!

 ひやひやしたが、彼が起きる気配はない。
 どうせ最終的には起こさなければならないのだけど、今この状況で起きられて
 どのような反応をすればいいのかが白石には分からなかった。

 練習試合のあと、帰りのバスの中。
 偶然に偶然が重なって、二人がけの席に二人して座ることになってしまった。
 おそらく(気まずい)と思ったのは両者ともであったに違いない。
 そう思えば、金太郎が寝入ってしまったのは幸運だ。
 ここで自分も寝てしまえれば何も問題ないのに、と白石は思う。
 しかし、バスの中で、しかも右腕に金太郎によりかかられて動きが制限され、
 いつもより心臓がばくばくしているともなると寝れる方がおかしいという話だ。


「あ、ちょっと蔵リン」


 前の席にユウジと二人がけで座っていた小春がふと振り返り、ぶっとふきだした。
 これに今まで気づかなかったなんて、アホちゃうか!いやでも気づいただけでも
 ラッキーやな!と小春が思ったかどうかはさておき。

 にやぁ、と笑みを浮かべる小春に若干引きつつ白石はわざとらしく冷たい声を
 出した。
 あくまでもコソコソと。大声を出すと金太郎が起きるかもしれない。


「なんや」

「何なんそのかわいいツーショット!ユウ君、携帯とって、携帯」

「任せろや小春ぅ」

「おいコラ撮んな!」

「心配せんでもあとで蔵リンの携帯に送っといたげるから」

「そんな心配しとらん」

「んもう、意地はりな蔵リン」

「そうや!おれの小春に逆らうなボケェ!」


 ユウジはともかく小春にはもう何を言っても無駄である。
 誰がお前のやボケェ、とユウジに裏拳をかましておいて、小春は携帯を構えた。
 カシャァ!カシャァ!と派手な携帯のシャッター音が響く。
 金太郎は起きない。


「目が開いてるのと閉じてるのでこんなに印象がちゃう子も珍しいなぁ」


 気が済んだのか、今撮った携帯の画像を確認しながら小春が言う。
 覗きこもうとするユウジをすげなく押し返しながら。


「え?」

「寝てる金太郎さんはものすごく大人しく見えるわ」


 ぷっ、と思わず白石が吹き出した。
 そうか、とつぶやく。
 何しろ白石から見えるのは金太郎のつむじだけで、表情はまったく見えない。
 窓際にいる金太郎は、窓から差し込む夕日にじかに照らされている。
 赤みの強い髪の毛がさらに赤くつやりと光っているように見えた。
 顔が見たいな、と首を右側に動かした時、カシャァ!とまたシャッター音。


「良い写真いただきました〜」

「小春…」

「お礼にいいこと教えてあげましょ、蔵リン」


 ダメだ、小春にはかなわない。
 IQ200の天才の頭脳に、何をどう言い返してもやられてしまう。
 それならば言い返すなんて無駄なことはしないに限る。


「なんやねん」

「肩を借りて寝る、っていうのは気を許した相手にしかできんことなんやて」

「な、」


 そんなこと、あるわけない。

 今の自分が千歳なら、納得できただろうけど。
 ここは本来千歳の特等席だ。自分ではなく。それくらい分かっている。

 黙り込んだ白石を見て、小春は目を細めた。
 なんでもお見通しですよ、と言わんばかりに。


「蔵リンは自分を過小評価しすぎとちゃう」

「………」

「金太郎さんはちゃんと…」


 ピンポーン!次、停まります…

 前を見た。
 白石も、小春も、ユウジも。

 若干呆れたような顔で、財前が停車ボタンを押して「次っすわ」と言った。


 金太郎はぐっすり眠り込んでいて、起きなかった。
 たたき起こそうと思えばできたのかもしれないが、そうする気は起きなかったのだ。
 しかし、仕方なしに小さい子を抱っこするようにかかえて家まで送ることになり、
 白石はため息をついた。
 ありがたいといえばありがたい。
 やっぱり、起きられてもどういう反応をすればいいのか分からなかったから。


「あ、こっちすわ、部長」


 道案内と荷物持ちは金太郎と家が近所の財前が請け負うことになった。
 荷物とは言っても、自分のテニスバックの他は金太郎のテニスラケットだけだ。


「ほんまこいつ、自分だけすやすや寝て…」


 憎まれ口をたたく割りに、金太郎のテニスラケットを大事そうに持っている。
 彼の宝物ということを重々知っているからだろう。
 そういえば同じ小学校やってんな、と思っていると不意に財前が言った。


「部長のバック、持たんで良かったですか」

 彼なりに気を遣ってはいるらしい。
 申し出はありがたかったが、今更「じゃあ持って」とも言いにくい。

「ん? ああ大丈夫や。金太郎も軽いしな」

「そうすか」


 あっさりと引いた財前に苦笑しながら、少しずってきた金太郎をよっこいしょ、
 と抱えなおす。
 その拍子にさらりと金太郎の髪の毛が揺れてせっけんの匂いがした。
 どきりと心臓が跳ねた直後、んん、と金太郎がむずがるように声を上げる。


「やば、起きる…」


 白石は歩みを止めて不動の体勢を取る。
 ひやりとしたのは一瞬だけで、金太郎は目を開けなかった。
 それどころか、安定感を求めてかより白石にぎゅっと抱きついてくる。

 嫌な顔をするどころか穏やかに微笑む白石を見て、「いや、起きた方が
 良かったんちゃいます」とは財前は言えなくなってしまった。




───

 気を許した相手うんぬんは聞いたことあるんですが、ほんとなのかな。
 あ、ユウコハ、好きです。
 
20110715