劣等感、安心感
白石が苦手だ。
毒手が怖い、それだけじゃない。
「はぁ…」
金太郎は珍しくため息をついた。
浮かんだことは(また白石に怒られる)だった。
状況は「遠山金太郎(12)、ただいまピンチです」だ。
(何が通行料や、アホらしい)
道はみんなのもの、だ。
しかもここは天下の公道である。
金太郎は公道と私道の区別がよく分かってはいなかったが、この高架下の
抜け道が「みんなの道」であることくらい分かっている。
下校途中、またしても厄介なやつらに絡まれてしまった金太郎である。
相手は高校生5人。学校に詳しくない金太郎だが、制服で判断できることもある。
ならば相手も制服で判断すべきだ。
ヒョウ柄タンクの四天宝寺生には要注意だと。
学ランを着ていても前をあけているのだから分かりそうなものなのに。
それができないのは、金太郎にこてんぱんにされたやつらが黙秘を通したからで
ある。
さすがにいくら強くても小学生のようにちっちゃい子どもにやられたとは
恥ずかしくて言えないらしい。何を恥ずかしいと思うかは人によってさまざまだが、
ちっちゃい子どもに手を出したという事実を先に恥じて欲しいところだ。
「おいおいおチビちゃん、怖くて声も出せへんのかぁ?」
「声出んでも金は出してもらうで」
ぎゃはは、と下品な笑い声が続く。
アホちゃうか、と金太郎は思う。金が欲しいのなら、もっと持ってそうなやつを
狙うべきだ。いや、こういうこと自体やったらアカンことやけど。
こういうこすくて矮小なやつらが金太郎は嫌いだった。
いつもなら、金の代わりにパンチひとつで通行料なのだが、この間白石に暴力は
あかん、あかんもんはあかん、と説教されたばかりだ。
白石は「なんかあったら俺を呼んだらええ」とか言っていたけれど、この状況で
どうやって呼べばいいのか教えてほしい。
金太郎は髪の毛をつかまれて高架線の壁に押し付けられている。
それを払いのけて逃げることくらいは簡単だ。
しかし払いのけた時点で戦闘開始は目に見えている(だって相手はまちがいなく
吹っ飛ぶだろうから)。
それを振り払って、そして白石を呼びに行く?
(アホらしわ)
金太郎があまりに反応しないので、髪の毛をひっつかんでいるやつとは別の男が
金太郎の頬をぺちぺちと叩いた。
「聞いてんのか、ガキィ」
「聞いとるわ、アホ」
バシッ、と頬を打たれる。
「生意気なガキや」
「痛い目ぇ見なわからんこともあるやろ」
今度はガッと殴られる。拳だ。
痛い。口の中が切れた。金太郎はぺっと血が混じった唾を吐き出す。
このガキ、骨あるわ、と男たちが物騒な笑みを浮かべた。
第二撃があることは明白だった。
(ああもう、めんどいわ)
また白石に怒られる。
ワイは悪ないのに、また大人ぶって暴力はあかんとか言うんや。
部長やからってえらそうにそう言うんや。
(そんならもうだまってなぐられたらええんやろ)
ワイからは手出しせん。
そう決めて、ふと「俺を呼び」と言っていた白石を思い出す。
呼んでもどうせ来ぉへんやん。
声が届くところにいないくせに、呼んだって仕方ないだろう。これこそ白石の
言う「無駄」に違いない。
(あ、そうや!)
呼んだのにこぉへんかったやん言うて責めたるねん、と思いついた金太郎は
ニヤリと笑って「白石ぃー!」と大声で叫んでから、ぎゅっと瞼を下ろした。
殴られるのを覚悟してだ。
予想していた痛みと衝撃はなかった。
代わりによく知った声が聞こえた。
「何してんねん」
ぞっとするほど冷たい声だった。聞き覚えがあるけれど、ここまで冷徹な声は
聞いたことがない。
目を開けるのが怖いほどだ。
「うちの一年に何してくれとんじゃ」
ガッ、ドカッと明らかにひとを殴り飛ばす音が耳を打った。
ふ、っと頭の圧迫感が消えて、つかまれていた髪の毛が解放されたことを知る。
そのまま重力に逆らわず、金太郎は地面に腰を下ろした。
目を開けると、そこにあったのは想像通り白石の背中で、高校生が2人地面に
へばりついている。
金太郎の髪の毛をひっつかんでいた方の男を、白石は石蹴りでもするみたいな
軽い動作で容赦なく蹴り飛ばした。
「!!」
次に屈み込んだ白石が金太郎を殴りつけた男の頭を軽く掴み上げて、もう一度地面に
叩きつける。
まるでサーブの前にテニスボールをコートで慣らすような仕草、しかしそれより
はるかに暴力的だ。
男の顔がアスファルトと擦れて、ごり、という嫌な音を立てた。
金太郎は思わず目を背ける。
「二度目はないで」
さすがに仲間意識くらいはあるのか、倒れている二人を助け起こして高校生が逃げて
行く。
やばい、こいつ白石や、と恐れを含んだ声が聞こえた。
「し、しらいし?」
ほんまにこいつ白石なんやろか、と金太郎は思った。
背格好も後ろ姿も見慣れた白石だけど、あんなに喧嘩はあかん、暴力はあかんと
言っていたのに。しかも白石はどこか線が細いように金太郎には見えていた。
喧嘩なんかしたこともない、優男。そんなイメージだった。
決して乱暴なことなどしないだろう、と思っていたのだ。
「金太郎!」
しかし振り返って心配そうな顔で駆け寄ってきたのは間違いなく白石で、いつもと
変わらないその表情に安堵する。
「遅なって堪忍な。痛かったやろ」
いまさら熱を持って腫れてきた左頬を撫でられる。
「なんでおんの」
金太郎は素直にたずねた。
金太郎が帰る時、まだ白石は着替えも済ませていなかった。監督であるオサムと
副部長の小石川とで練習メニューについて話し合っていたのに。
「金ちゃんが呼んだからやん」
何を当たり前のことを、みたいな軽い口調であっさりと言った白石は続けて、
めっちゃチャリで疾走してきたで!と笑った。
嘘ではないだろう。白石の額にはうっすらと汗が浮かんでいる。
金太郎の顔がふにゃりとゆがんだ。
泣き笑いで、「ケンカはあかんて言うてたくせに!」と言った。
───
個人的に白石みたいな子が怒るとケンカ強かったり口が悪かったりするのは
たまらないなーと思います。
部員たちに「怒ったら怖い」って思われてたらいいな、白石部長!
20110712