見下ろす視線




 金太郎にとって、見下ろされるということは日常茶飯事だ。
 中学校に入ってしまえば自分より小さい人間を探す方が難しい。
 同級生ならちらほらとどんぐりの背比べになりそうな子もいるが、上級生とも
 なるとまるで比べ物にならない。
 加えて金太郎が入部したテニス部は長身の先輩が多かった。
 しかし金太郎はまったく気にしていなかった。
 自分が小柄なことくらい理解している。
 それでも跳べばいくらでも高くにいけるし、でかくても自分より弱いやつの
 方が圧倒的に多い。
 しかし、世の中には小さいものを弱いと思い込む連中のなんと多いことか。
 大阪、四天宝寺中学校に入学して2週間で気づけばそんな思い込みを持つ
 勘違いさん達の鼻っ柱を片っ端から折ってまわってしまった金太郎である。
 断っておくと、金太郎から喧嘩を吹っかけたことなど一度もない。
 結果として喧嘩してやっつけた、ということになるが、大体にして発端は
 いじめられそうになっている奴がいて助けた、とか、ガラの悪い連中に絡まれて
 仕方なく、というものばかりだ。
 概してそういう奴らの見下ろす視線には悪意のカスのようなものばかりが
 こもっている。


「金太郎、喧嘩はあかんで」


 部室にて正座をさせられている金太郎の顔には絆創膏とガーゼがいくつか
 貼られており、軽い擦り傷は消毒だけしてそのままにされている。
 金太郎はむすくれたままで部長の白石の言葉を聞いていた。

 朝の登校途中でなんとか高校の不良たちに絡まれたせいで朝練には出られなかった。
 この間の報復だというから恐れ入る。
 やられたらやり返す、が金太郎の基本信念だが、やり返されてやり返しに
 来る、ということは金太郎にとって考えもしないことだった。
 金太郎はやられたらやり返す。
 しかしその後はキレイさっぱりそのことを忘れる。
 執念深いやっちゃ、と半ば呆れの心境でやり返されてやり返しにきたやつらを
 いつもの通りやり返して、朝練のかわりに保健室に行った。
 朝のことはその後すっかり忘れてしまっていた。
 思い出したのは、部室にやってきた金太郎の顔を見た白石の表情が険しいものに
 変わってからだ。
 あ、と思って両手で顔の絆創膏を押さえた時にはもう遅かった。
 金太郎、そこに座り。正座や。
 冷たい白石の声色は、毒手を出されなくても従わざるをえない迫力があった。


「この前も言うたな」

「でも」

「でもちゃう。文句はきかん。喧嘩はあかんて言うたやろ」


 部活はすでに始まっている。部室の外からはラケットにボールが当たる音が
 聞こえており、ラリーが始まったことを教えていた。
 部室は静かだ。
 当然だ、今は白石とふたりしかいない。
 どうせならネットを挟んでコートで向かい合いたい、と金太郎は思った。
 しかし白石と自分の間にはネットなどなく、ただ向き合っている。
 それだけなのに、この圧迫感は何なのか。


「じゃあどうしたらよかったん?」


 白石の一方的な態度と、テニスができない不満とで金太郎はとげとげしい口調で
 問うた。
 悔しい、悔しい。膝の上で握った手に力を込める。


「どうしたらよかったんや。そのままなぐられとけばよかったんか!」


 悔しさでじわりと涙が滲んだ。
 白石の言っていることは正論だ。間違っていないけれど、でも答えがない。


「困ってるやつ助けたらあかんのか!見て見ぃひんふりせぇ言うんか!」

「そうやない」

「じゃあ、どうしたらいいんや!」


 ついにぽろりと涙がこぼれる。
 涙にまかせて、金太郎は言い募った。


「白石はワイばっかり怒るけど、なんでなん?!ワイは悪いことしてへんやん。
 やられたからやり返しただけや!」

「金太郎」

「ワイから手ぇ出したことなんか一回もないで!向こうが悪いんやん!」

「それは分かっとる」

「分かっててなんでそんなこと言えんねん!じゃあワイはなぐられても蹴られても
 ガマンしとけばいいんか?!そうしといたら白石は満足なんか!」


 言い切って、ぜいぜいと息をつく。
 悔しい気持ちもある、自分で言って悲しくなってきたこともあって、金太郎は
 とうとうわああんと大声で泣き出した。
 そのままわあわあ泣いていると、やがて頭をわしわしと撫でられる。
 顔を上げると、同じ目線の高さに困ったような白石の顔があった。
 長身をかがめて、右手で金太郎の髪の毛を撫でている。


「そうやない。金ちゃんは強いかもしれんけどな、やっぱり怪我もするやろ。
 今日はかすり傷で済んでも、危ないやつは刃物持ち出してくるかもしれん。
 物騒なやつはいくらでもおるんやで」

「ワイ、まけへんもん」

 ひっく、としゃくりあげながら言うと、白石が苦笑する。

「うーん、それでもなぁ、万が一っていうことがあるからな。それに暴力は
 やっぱりあかんねんで。正当防衛でもあかんもんはあかん。」

「だから、じゃあ、ワイはどうしたらいいん」

「俺のこと呼んだらええ」

「…はぁ?」


 ぽかん、とした顔で金太郎は間のぬけた声を出した。涙もとまった。
 しかし白石は真面目そのものだ。
 少なくとも金太郎にはそう見えた。


「絡まれたら俺のとこにきぃ。困ってるやつ見つけてもや。そいつ連れて俺の
 とこにきたらええ。殴られそうになったら殴られる前に俺のとこにおいで」


 うーん、と金太郎は考えこんだ。
 しばらくうんうんとうなってから、首を傾げる。


「それって、逃げてこいいうこと?」

「ちゃう。ともかくなんかあったら金ちゃんは俺を呼びにきたらええんや。
 できるやろ。そしたら喧嘩にならへん。簡単や、俺を呼び」


 金太郎には言いたいことがそりゃもうたくさんあった。
 現実問題、不可能に近い。
 よくニュースで聞く「具体的な解決策にはなっておらず…」という言葉がぴたりと
 当てはまるように金太郎は思った。

(ていうか、ムリやんそんなんぜったい)

 白石を呼びに行くくらいなら自分でなんとかした方が早いし、何より
 逃げるみたいで格好悪い。
 しかも白石がどこにいるかも分からないではないか。
 いつも一緒にいるわけでもない。
 それが分からない白石ではないだろう。むしろ彼はそれを承知で言っている。
 難しい顔をしたままの金太郎に、白石が静かに言う。

「金ちゃんが言いたいことくらい全部分かるけどな、それでもとにかく何か
 あったらまず俺や。ええな」


 ええか?という問いかけではなく、ええな、という断定だ。
 文句があるなら毒手やで、と言われ、仕方なく金太郎が頷いた。ぐい、と
 涙をぬぐったのを見て、白石もよしと頷く。


「話は終わりや。ほら、行くで。ストレッチからや」


 すっと立ち上がった白石とは違って、正座させられていた金太郎はのろのろと
 立ち上がる。幸い、足はしびれてはいなかったがぎしぎしと軋んだ。


「…白石と組むん」

「そりゃそうや」


 ちょっと嫌そうに言われて、心外だとばかりに白石が答える。
 むすくれた金太郎を見て苦笑した白石は、また頭に手を伸ばして、できるだけ
 やさしくわしわしと掻きまぜた。





───

 仲良くない白金妄想がこんなことに…。


20110709